見出し画像

【古典読解ゼミレポート】ウィトゲンシュタイン『青色本』(ちくま学芸文庫)24頁まで読み進めました。【ソトのガクエン】

毎週土曜日22時に実施しています、ソトのガクエンの古典読解ゼミでは、3月よりウィトゲンシュタイン『青色本』(ちくま学芸文庫)をテキストに講読形式で読み進めています。現在、24頁まで読み終えました。毎回、平均4頁ずつ読み進め(難しい箇所があるときは、1パラグラフ読んで終わるときもあります)、参加されている方々とともに、文章の内容について、内容から派生する問題について、さまざまに議論をすることで理解を深めています。テキストは日本語を読んでいますが、ブラックウェル社から出版された原著(1958年)を画面共有で見比べながら検討しているので、英語の勉強にもなります。テキストの詳細については下記の記事をご覧ください。

『青色本』は「語の意味とは何か」という問いから始まり、語の意味を説明するものとして、言葉による定義(辞書的意味)と直示的定義(「これは○○である」という意味理解)の二つが挙げられます。意味を理解するための候補として、直示的定義を分析するなかで、語や文とその意味を媒介するとされる「思考」や「思考すること」の関係が問題とされる箇所に現在差しかかっています。

語や文をそれ自体としてみれば、紙に残されたただのインクの染みに過ぎません。したがって、それらを私たちが読み、理解する(「思考する」)ことによってはじめて、語や文に意味が付与されるのだと通常は考えられています。今読んでいる箇所は、では、そこで想定されている「思考」や「思考すること」がどこにあるのか?という問いです。一般に、これら「思考」や「思考すること」は、思考している私の頭のなか、脳の中に生じるとされるわけですが、このような一般的な先入見を、さまざまな議論を考察しながら斥けることをウィトゲンシュタインは試みます(例えば、思考と生理的過程の相関関係を調べるのに、思考する者が思考しながら同時に自分の脳の生理的過程を鏡を用いて調べるといった突飛な思考実験が論じられます)。
例えば、「思考」がどこで生じているのかを問うことがいかに不条理であるか示すのに、チェスのセットにある木片でできたキングは盤上に位置を持つのに対し、これと同じように、チェスのルールで記述されるキングの場所を探すようなものだと述べられています。

「キングはどこにありますか?」
「目の前の盤上にありますよ」
「あ、ありがとうございます。ただ、僕が探しているのは、チェスのルールが記述しているキングの場所であって、この木片の場所ではないのです」
「……。」

ルール上のキングとは、ルールの部分である一定の振舞や役割に与えられた名(前)にすぎず、同様に、「思考」や「思考する」というのは、記号操作の一定の振舞に与えられた名(前)に過ぎません。ルール上のキングの場所を探すのは奇妙に思われるにもかかわらず、私たちは「思考」について同じことをしてしまうのであり、それはとても奇妙なことだというわけです。
このあたりの記述もそうですが、所々にルイス・キャロルとの親近性が見られます。G・ピッチャー「ウィトゲンシュタイン、ノンセンス、ルイス・キャロル」(『現代思想 総特集 ウィトゲンシュタイン』1985年)は、「ナンセンス」という観点から両者の類似性について論じていました。


次回は、3月25日(土)22時より、『青色本』(ちくま学芸文庫)22頁から読み進めていきます。途中参加も大歓迎ですので、興味・ご関心おありの方はぜひご参加ご検討ください!よろしくお願いいたします!


*****

ソトのガクエンが実施しています、現代思想コース(基礎力向上ゼミ、古典読解ゼミ、サブゼミ、原書ゼミ、大学院入試情報チャンネル)はただいまメンバーを募集しています。興味・ご関心お持ちのかたは、HPをご覧ください。
ご登録は、
HPPeatixnoteいずれかをご利用いただけます。
皆様のご参加をお待ちしております。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?