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マンモ

彼を可哀そうに思ったのは、自らが"独り暮らしの中年”になってからだ。
正確に言うと、それまでに二度ほど、そんな感情になったこともある。

小学生の頃から図体がデカく、それをメリットにできないほどにドンくさく、家は貧乏ときた、勉強も運動もダメな子供。それがマンモだった。

彼の巨体をマンモスに例え、苗字にもかけて”マンモ”と名付けたのは、もしかすると僕だったかもしれない。

その頃の僕は、トンチだけが取柄で、クラスを笑わせて得意になっているチビだった。いつもネタになる標的を探しては、そいつのアラをさらして笑いを取る、ザコ。そのくせ、時に正義感が前面に出て、”マンモ”や他の標的を守ろうとする。気まぐれなお調子者。

一度目は4年生の頃だったか。学級会で、定例のバス遠足の席を決めていたときのこと。
くじ引きで順番に好みの席を決めていく流れの中、彼の隣に座りたがる者はおらず、ポツンと隣が空いていた。

子供は素直で残酷。
先天性の疾患を持つ彼が周囲に放つ匂いは、彼の家の貧困からか、替えの少ないおさがりの体操服のせいだけではなかった。

その時、彼の隣に立候補したのは他でもない、彼を笑いのネタにした僕だった。なんの気まぐれか、一人ぼっちのマンモが可愛そうに思えたのだ。

そして遠足の当日、子供ながらに席からはみ出そうなマンモの隣に座る僕。妙な正義感は、チビでチンケな笑いをとる以外に取り柄のない自分の、彼への共感がそうさせたのかもしれない。

発車して早々に、クルマ酔いで気持ちが悪くなった僕に、マンモはおやつに持ってきていた”サクマドロップ”を僕にくれて、「ツバ飲み込んでみ。ラクになるから」と助けてくれた。
彼の眼をあんなに近くで見たのはそれが初めてだった。あどけなく可愛らしい、そして深い寂しさを宿した瞳だった。


二度目は、我が家に弟が生まれた頃。「弟が欲しい」と両親に話していた僕には9才離れた最高のプレゼント、のはずだった。

弟はその年に市内で生まれた誰よりも大柄だった。とはいえ、4年生の僕にしてみたら赤ん坊にすぎない。ちっちゃくて可愛らしい。他所の子とは比べ物にならないクリクリした目の僕の弟。


数年後、彼が苛められていると小学校から連絡を受けた我が家。大きなカラダ故か、どんくさく、そして誰よりも優しい弟は、自分を苛めた相手に手をあげることさえできなかった。

僕は「苛めた奴らをぶん殴ってやる」と息巻いた。”怒りで胸が張り裂ける”とは、こんな感情のことだろう。そのくせ、"いじめられっ子の弟がいる"ことに引け目を感じ、少なからず弟を疎ましく思った自分。態度にも出ていただろう。弟は家でも無口になった。

その時、マンモの事が頭を過った。もしかすると僕が苛めの発端だったかもしれない彼。気まぐれな優しさに、あどけない瞳で報いてくれた彼。

あれから40年以上経った。弟は、幼少期の虐めの影響からか、孤独な青春を送り、いまだに自己肯定感を見いだせないでいるようにさえみえる。その姿がマンモに重なる。

マンモはどうしているだろうか?

願わくば、僕の笑いのネタにされたせいで、孤独な人生を送っていないで欲しい。一人暮らしの部屋に帰って、ふとそんなことを思った。

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