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私が休学した理由

こんばんは。ただ今4月4日。今私は中国にいます。今日は私が休学した流れと理由について書いていきたいなと思います。長いので読めるだけ読んで欲しいです。

休学の動機。
 2023年4月
3回生になり、自分は浪人したからこのまま4年ちょっきしで大学を卒業し、就職しないといけないなと思った。また、来年の教育実習の申し込みもしていたので、それも相まって、このまま卒業は既定路線だとほぼ確信していた。

そして就職するために『何となく』インターンを行い、『何となく』バイトをしてサッカーを見て、生きていた。『何となく』やっていることには、やる気がわかない性分である。
ほんまに適当に好きでもないことをやっていて、このままでは大学浪人と同じく、就職浪人のフラグが立てられそうだった。
一方で3回生から始まった、ゼミでの出会いは自分に新しい人生の価値観をもたらしてくれた。

一般的な3回生は、大半がインターンをして就活をしていると思う。
だけど僕のゼミはそれが通じない。笑みんな自分のやりたいことを最優先に生きている。
そんな仲間に「休学しよ!」って勧められたら、考えざるおえない。笑ちょっとずつ「休学」という選択が脳裏を占めるようになった。

コロナが明けて久ぶりに海外にいけるようになったこの時期。アジア教育文化論という授業でインドに触れてインドに強くひかれた。また、九州一周の旅先で出会ったおっちゃんに「インドは人がとにかく終わっている」と言われて興味を持っていたので、夏休みにインドにでも行って人生観変えようかなとか思っていた。

 2023年5月

相変わらず変わらない生活。勉強していた夜。いきなり父親から「おじさんから貰った財産贈与で留学しても良いよ」と言われた。そこで心の中に異変が生じた。「俺が留学しても良いの?」疑問がわいた。胸がざわついた。
だが、どうせ今から留学とか無理だろと思い、本当にやりたいことにフタをしている自分がいた。

2023年7月のある夜。
 あまりやりたくない教職、就活。片道1時間45分の通学。心に限界が来ていた。なぜか夜、母親と話していると号泣した。もうしんどい。こんなやりたくもないことを何となくやっていることにメンタルが持たなくなった。

翌日、インドへの航空券を買った。インドに行くために働く夏休みが始まる。

2023年8月
 インターンシップに行きながら、関西国際空港での入国審査における混雑緩和の補助をする7時~22時までのアルバイトを三回した。日給1万5000円。13時間労働、立ち仕事、さすがに疲労は大きかったが、外国人観光客と関わる仕事は刺激が多くて楽しかった。他に二泊三日で2万4000円もらえる教育キャンプをした。あとはスターバックスのヘルプで関西国際空港の二階で4か月も働いた。これは自分にとっての大きな経験である。外国人と関わることが楽しかったし、何より、スターバックスで働く楽しさを改めて再確認したし、お客様と関わる時に、笑顔が少し多くなった気がする。忙しい時も笑顔を忘れないことはここで学んだ。
そしてインドに行く費用を稼ぐために頑張る自分を好きになった。

関空2階


2023年9月
 ついに2週間のインドの旅へ。所持金2000円。砂漠に野ぐそ。激痛下痢で我慢できず、車道で脱糞。コレラパーティーのガンジス河への渾身のダイブ。日本で働く人たちとの出会い。
 すべてがファンキーでビューティフルで、自分にとって新しい経験で。休学に自分を突き動かしたものがインドには溢れている。
 1つ目はガンジス河で死体が燃えるのを見たこと。ガンジス川のガートでは人が燃えるのも無料で見ることができる。特に人が少ないガートでは間近で見ることができる。燃えているのを見ていると、頭と足は燃えにくいことが分かった。そこで、死体を燃やす人は、それらがちゃんと燃えるように、木を使って、頭と足を乱雑に動かす。この場所で、死体は「人」ではなく、「モノ」だった。また、死体が燃えきるのは30分にも満たない。

ここから、どうせ死んだら一瞬で燃やされるのに、やりたいことにフタをして、無為に人生を送って良いのかなという疑問が生じた。
 
次にガンジス河を沐浴した経験。インドに行く前、友達全員から「ガンジス河に入ったら病気になる」って言われた。バイエンスの動画を見せてくるやつもおった。笑まあでもそれは相手にせんかった。これからの人生でやりたいことが何もなかったし、もう自分の人生なんてどうでもよい時期やった。だから、ガンジス河に入って病気になったらそれまでやと思ってた。病気になっても良いように帰国日の直前に入った。めちゃくちゃ怖かったし、入った人の感想聞いてから最終的に入ること決めたから、まだまだチキンです。笑でも、ヒンドゥー教の聖なる河で沐浴せずに帰って来る方が病気するより後悔すると思ったからとりあえず入った笑 でも入るかは自己判断ヤシ、汚いことはあきらかです。

ガンジスリアル


 結局入ったけど、何にもならんかった。この経験で人間って二次情報でしか物事みてないと思った。
「中東は怖い、日本人は優しい、ガンジス河は汚い。」
こんなんみんながそこら辺のヤフーニュースを見て「~らしい」って言ってるだけ。これが偏見。そらそう。みんな行ったことも無い所のことを話すときには決めつけや推測が大事なんはわかる。
でも、そのままで良いのかなって俺は思う。そんな偏見まみれで生きてたら人生損すると思う。だから、インドだけじゃなくて、もっと色んな国を自分の目で確かめたいと思った。痛烈に。
 最後に日本で働く人たちとの出会い。たくさんの人にあったが、みなが口を揃えて言うのは「社会人になったらまとまった休みを取ることができない」ってこと。当然のことながら、組織で働くものが1か月も連続して休みを取ることはほぼ不可能に近い。一方で大学生は毎日がほぼ休み。休学したらオールフリー。こりゃやりたいことやらなあかんわ大学生って。これら3つは自分の心をゆさぶった。
インドで出会った日本人との出会いが自分の人生を大きく変えた。

 帰国後
 日本に帰ってきて、10月に教育実習を来年行うことを正式に決定する内諾所を提出しにいかなければならなかった。これを出してしまったら、教育実習を来年することは確定する。
つまり休学できず、ストレートで大学を卒業することが決まってしまう。

あと1週間。時間がない。どうしよう。週5日の授業で、就職活動とアルバイトの両立なんて無理すぎる。絶対就職浪人する。就職浪人で一年使うんやったら休学しよや!よし思い立ったら吉日!!まずは免許課程センターにいった。そして親に話した。来年休学がしたい。父親はあっさりと受け入れてくれた。母親は反対しているが。
免許課程センターではなんとか休学できる方法があると教えてくれた。高校の教育実習担当の先生は、自分のサッカー部の顧問だったので本当に緊張したし、当たり前のことだが怒られたがなんとか承諾を得て、再来年に教育実習を行ってくれることが決まった。(仮)本当に全ての人に感謝しかない。二度と迷惑かけないです。ほんまにすみません。母校大好き。 

そこから計画建てが始まった。ただ行くだけでは旅行なので、ボランティアをして、現地の人と仲良くなり、現地の文化を深く知りたいと思うようになった。プランは壮大なものでまだ完全には立っていないが早く絵に描いた餅を卒業したい。

歳を取ってからでは遅い。今の気持ちを大切に。やりたいことを突き通す。
自分の強みは行動力。これを活かした旅がしたい!


これまでも人との出会いで、インドに行けたし、休学する選択を選んだし、たくさんの素晴らしい人に出会うことができた。今の休学と言う選択をたくさんの人との出会い無しでは語ることができない。だから、旅先で色んな人と出会ってたくさんの価値観を感じた上で、これからの人生を決めたい。自分のやりたいこを貫きたい!


これからは旅のことをたくさん書けていけたら良いなと思います!
ではごきげんようー

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