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私のbosyu体験

5月頃から、bosyuというサービスを通じて様々な活動をしている。noteで連載している「ドヤドヤされてフムフムする」はまさにその典型だ。
その他にも、誰かのbosyuに応募してみたり、あるいはbosyu自体をきっかけとした新たなつながりなども生まれているので、一度まとめてみることにしたい。

そもそもbosyuとは

かんたん募集サービス「bosyu」
・自分ができることで、誰かの役に立つ。
・誰かのできることで手を借りる。
・何かをやりたいから人を集める。
・仕事を探す、働き手を探す。
日常生活的なことから、専門的なことまで。幅広く「募集」できるサービスだ。

そこに報酬を付与させることもできる。「コーヒー一杯おごりますよ」の程度から、「良い飯食ってくんな!」みたいな金額まで様々だ。

私は、bosyuが掲げる世界観がとても心地良いと感じている。

あなたにとって普通のことでも、
誰かにとっては特別なことかもしれない。
例えば、大切なひとの誕生日プレゼントを一緒に考えたり、
ママ友の代わりに一週間の献立を考えたり、
地方の後輩から就活の相談をうけたり。
副業とかフリーランスとか、そんな難しいことじゃなくて、
自分ができることが誰かの役にたって、それが仕事にもなる場所を作りたい。
「bosyuについて」より引用)

以前の記事でも似たようなことを書いていた。こんな思考のときに出会ったサービスだからか、なんとなく縁を感じている。

私のbosyu案件

初めて出したbosyu。着物の着付け教室のようなことはできないが、「着物が気になる」→「どうしたらいいの?」の最初のステップのお手伝いをしたいと思って出した。

デビューbosyuがbosyu公式noteにピックアップ掲載されたのも良い思い出だ。いきなりbosyu公式アカウントから連絡を頂いたのには驚いた。ここでbosyuとの距離感はグッと近づいたように思う。

このbosyuで数名の方に着物についてお話することができたが、あいにく着物を買いに行くことや、着物で外出することとは縁遠い時期だったため、妄想の材料を提供するに留まったような気がする。なんで出したんや。タイミングってもんがあるやろ。

冒頭で紹介したbosyuだ。今なお続いており、私の代表的なbosyuとなっている気がする。
その人の「普通」を聞いて記事にする。違うバックグラウンドがある人、仕事をしている人、趣味がある人が「普通」に話す内容は、他人にとっては未知の世界である。

それをおもしろがって話を聞いて記事にする。その一連の行為を「ドヤドヤしてもらったらフムフムします!」などと書いたら思った以上に反響があった。多いときは週に3回フムフムしたりもしていた。世界がヴァーッと広がった。

自分では当たり前のようにやっていることが、他の人にとっては「特別」なのだということは、自分一人では気が付かない。私が興味津々に聞くことで、「これってみんなにとって普通ってわけじゃないのかぁ」と気づいてもらえるのは、win-win的な効果をもたらしているのかもしれない。

連載をするぞ!という固い決意でヘッダー画像を描いてもらうbosyuも出した。そもそも連載するほど応募が来なかったらどうするんだと思ったけど、幸い連載はそれなりに続き、ヘッダー画像も大活躍している。

どうやら私は話を聞くのが好きらしいし、そうやって話を聞けるのは、むしろ「みんなの普通」ではないらしい。口を挟まずにフムフム話を聞くのってそんなに難しいことなの…?

ならばそれを活かしてみようと、目的を明確にしたbosyuを出してみた。これも数人応募いただいていた。「いやー何を悩みますか、あなたがしれっと話したそれ、めちゃくちゃ強みじゃないですか」みたいな案件が続いた。おもしろい。

実は仕事でも、学生の志望動機や学生時代の話を聞くことがある。みんなアピールポイントを意識して話そうとして、テンプレっぽくなってしまいがちだが、よくよく話を聞いてみると「それめっちゃおもろいやんけ」がポロポロと出てくる。それを聞き出して、実はそれ結構すごいことだよ。と伝えられるようになった。

興味津々で話を聞くし、それらをドヤー!って拡げたい!思いが更に拡大したのがこのbosyuだ。スタートアップがおもろいことやってんで!!みたいなこととの相性は良さそうなんだけど、未だに実績はない。ぐぬぬ。

少しジャンルを変えてこんなのも出している。これは自分がストレングスファインダーをしたあと、「こういうの自分で振り返るの恥ずかしい…///」となったため、第三者の目で見てもらいたくなったものだ。

3人それぞれで結果を見せ合いっこしたら、自分では気づけなかった一面を知ることになった。

コメント 2020-06-21 215804

例えば、私の強みとして出た調和親密と言ったものは、自分としては「自分の独断で物事をあまり進めない」「人の意見を尊重しがちで、オラオラ行けない…」要素だと思っていたのだが、「そうやって協調することは、誰もができることではない」という評価を頂いて、それを強みだと認識することができた。

このbosyuについては以前記事にした「自分にできないことは、誰かに頼ろう!と軽い気持ちでbosyuを出すといいですよ!!」みたいな例として語っていきたい。

これは応募したbosyuだ。懐かしい…。もくもく会に参加して、先に挙げたドヤフムの記事を書くなどした。なんだかんだで雑談ばかりしていた気がする。

bosyuがラジオをやるぞー!!ってんで、応募したらサクサクっと登場してしまったでござるの巻。こちらの記事でそれとなくまとめている。

他にもbosyuを出したり応募したりは他にもあるが、またそれは追々書いていきたい。

bosyuから派生した動き

bosyuというサービスの中で、募集を出す/応募する行為以外にも、様々な動きがあった。

単純に、bosyuを通じて出会った方々との交流が生まれた。例えばドヤフムでは、私の「話を聞く」という募集の性質上、話を聞いた後も交流が継続している方が多く存在する。楽しい。

そもそもtwitter上ではbosyuの中の人達が情報を発信しているし、ユーザーのbosyu、bosyu体験を多くシェアしてくれている。こうしてサービスを取り巻く動きが可視化されるのは、bosyuの良いところの一つだなと思っている。

中の人達の紹介はこの記事が最高すぎるのでぜひ読んでほしい。

次に、bosyuラジオの存在がある。ユーザーと一番多く会話する代表を目指していたんだったか、もう実際そうなんじゃないかと思う石倉さんと話す機会があるのは、冷静に考えるとよくわからんのだが、すごい体験をさせてもらっている。
何がって、bosyuを自分ごととして捉えて物事を考えられるようになってる感があるところがだ。これがロイヤルカスタマーエクスペリエンス…?(なにそれ??)

bosyuとオールユアーズのコラボTシャツを作る流れとか、激アツ案件だった。私はTシャツを購入した。(在宅勤務時に「ここぞ」という会議があるときに着用している。勝負Tだ)

最後に外せないのがbosyu cafeだ。

slack上にbosyuの中の人もユーザーもわーっと入って、まぁ、特に何もするでもなく「ゆるく繋がる」場所が生まれた。

おはようを言うチャンネル、「こんなことした!」ってことを書いたらみんなが褒めてくれるチャンネル、bosyu使う上での相談事を書くチャンネル、推しbosyuを紹介するチャンネル、好きな本を語るチャンネルなどなど…。書くもよし、見るだけもよし、たまーーーに見るだけもよし、常駐するもよし。

職場でも学校でも、家族でもない。日常に一つ「所属する場所」が加わったような感覚だ。普段の生活圏内では絶対に出会わなかったような属性の人たちと交流ができる。

それはインターネットの大海であれば当然のことだが、そこに「bosyu」という共通要素が加わっているだけで、大海に浮かぶ島となる。

みんなのことはあんま知らないけど、「bosyuを知ってる…ってことだけは知っている」それをスタートとしてゆるく繋がっているというのは、不思議と居心地の良い距離感だなと思った。

そこからプロジェクトが発生しちゃったりしているのもおもしろい。bosyu cafeのステッカーが最近作られたし、「bosyu cafeをイメージしたコーヒーブレンドを作ります!」みたいな話が立ち上がったりもしていた。

全部把握しきろうなんて思うと大変だが、なんか身を委ねていたらオモロそうな祭がドッカンドッカン起きているので飽きないこと飽きないこと。この中でドヤフムを知ってもらって、応募されるケースもあった。

はたまた、石倉さんが手掛ける書籍について一緒にえんやこら考えたりするような動きもあった。
人生で初めて「発売前の本のゲラを読む」なんてことをしたし、その感想が本にも載るらしいので、「でご」の書籍デビューでもある。(でごの書籍デビューではない)

私はbosyuをどうしてここまで推しているのか

どうして自分はこんなbosyuハマってんのかな…と思い、改めて「bosyuのどこに価値を感じているのか」を考えたので、思考の整理を垂れ流しておく。

○コンセプトが良い。
自分が「当たり前」「ふつう」と思っていることが価値となる。…ということにスポットを当ててくれる。気づかせてくれる。その構造自体に価値を感じる。

○それが「可視化」されているのが良い。
他者の「ふつう」を価値にしている事例が見えるので、「自分もなんかやってみよ」となる。他者が募集を出して求めていることが、「あ、自分が役に立てる」と応募できる案件となる。

○そして、これらの動きをbosyu社メンバー、そしてユーザーが盛り上げているのが良い
先の2つの良さをブーストさせているのがこれだと思う。
誰かのbosyuをおもしろがり、誰かのbosyuを応援し、それらの成立を喜ぶ様子が見えるのが良い。

最初に書いた「自分にとってのふつうが、誰かの役に立つ」という些細なことを、自信に変える力がある。
「誰かの普通が 誰かの役に立っている」のを自分ごとにできる。

世の中のすんごい人と比べて落ち込むこともあるけれど、あなたのできることでも誰かを喜ばせることができますよ…という体験は、自己啓発本で得られる以上の自己肯定感に繋がるんじゃないかと思う。

……bosyuの存在が価値…尊い……みたいな話になってしまった。


「自分にできるなにか」を考えるきっかけを持てるのがこのサービスの大きな価値なのだと思う。
その価値観に共感した方や、bosyu体験を通じて「自分にできること」に気づいた人たちがゆるーく繋がると、そこには「自分/他人ができること」を尊重し合えるような世界が生まれているような気がする。

自己の肯定と他者の肯定が共存する。自分ができることに自信を持てるし、相手のできることを素直に称えることができる。
このあたりの「価値」が目に見えていくことで「しごと」の原点に帰っていくような感じがする。

bosyuを通して感じるのは、仕事を提供する側にとっての「お金」は自分ができることで喜んでくれる人がいるという実感を得られるものだし、仕事を依頼する側にとっての「お金」は「あなたの提供しているものは価値があるものですよ」と意思表示をするもの。
つまりお金によって相手の存在意義を認めることができるし、頑張ってというエールにもなるということだと思う。
「しごと」と「お金」を考える/石倉秀明

このあたりの話は、同じ時期にサイボウズの山田理さんが書いた「カイシャインの心得」でも語られていた。自分にできる、誰かの役に立てることを考えていくのがいいなぁ。

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なんだか最後は壮大な話になってしまった。
そもそもbosyuは「なんでも募集できる」サービスなので、今挙げたような「できること」に対する話ばかりでなく、「この指止まれ」的な使い方もできる。やりたい、やってみたい、やってもらいたい…気軽にbosyuを使ったらいいんじゃないかな。

自分が出さなくても、他の人のを眺めているだけでも「こんなのもあるんだな~」と楽しくなれる。それがいい。

「これ需要あるのかな…?」「同じこと思ってる人いるかな…?」と考えている人がいたら、とりあえずbosyuしてみようよ!と声をかけたい。



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