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「しごと」と「お金」を考える


僕は2016年からキャスターという会社の取締役をしていたが、2019年7月にbosyuというサービスを分社化させて株式会社bosyuの代表も兼務している。

bosyuというサービスは「誰でも」「個人が」「自分のしてほしいこと、できること、やりたいこと」を募集できるサービスである。
平たくいうと個人が自分のできることに「報酬額」を設定し、SNS上からお客さんを見つけることができるサービスだ。
bosyuの開発に至る原体験や実現したい世界は以下のnoteに記載があるので、もし興味あればぜひ読んでいただきたい。


bosyuは「しごと」と「お金」に関するサービスなので、「しごと」と「お金」の側面から「#給付金をきっかけに」というテーマに合わせて書いていこうと思う。


学生から届いた一通のDM



ある日とある学生からTwitterのDMが届いた。

内容は「コロナの影響でバイトがなくなってしまって困っている学生が自分の周囲だけでも数十人はいる。なんとかして新しい仕事を探せないかと思うんだが相談に乗ってくれないか」といったものだった。
すぐZoomを使って話すことになったのだけど、本当に生活が苦しく不安になっている人がたくさんいること、実家に帰ろうにもコロナを親にうつしてしまうリスクなどを考えるとできないこと、bosyuだったらオンラインで何かできるのではないかと考えたことなどを話してくれた。

その後、何回かDMのやりとりをして、学生と一緒に「オンライン家庭教師」を始め、bosyuとしてもサポートをすることになった。
そこから約2週間ほどでリリースまででき、少しずつだけど仕事が成立し始めている。(オンライン家庭教師はここから探せるので、お子さんいらっしゃる方は是非)


この一連の流れの中で「お金」は状況によって役割が変わるものだと感じている。

まず今回の話に出てくる学生や自分の学生時代、若手社会人時代にとっての「お金」は生きるために必要なものだった。むしろお金がないことでできることが限られて機会損失していたこともたくさんあると思う。
逆に社会人になり多少生活に余裕が出てくると「お金」は自分が何かをする、何か経験するためのツールになる。

そしてbosyuを通して感じるのは、仕事を提供する側にとっての「お金」は自分ができることで喜んでくれる人がいるという実感を得られるものだし、仕事を依頼する側にとっての「お金」は「あなたの提供しているものは価値があるものですよ」と意思表示をするもの。
つまりお金によって相手の存在意義を認めることができるし、頑張ってというエールにもなるということだと思う。


僕が給付金でやりたいこと


これから全国民が給付金で1人10万円を手にすることになる。(すでに手にした人もいるとは思いますが)

「お金」はどう使うかで全然違うメッセージになる。

僕はこの手にした給付金を誰かに仕事を依頼することに使いたいと決めている。「お金」を通じて、みんながやっていることは価値があるよと伝えられたら嬉しいし、それによって少しでもお金の不安がなくなる人が増えたらいい。僕から仕事を依頼された人が、その事実によって「あ、こうやったら仕事になるんだ」「こういう風にやったら稼げるかも」ということを感じてくれたら嬉しいというのもある。

お金で困っている人にお金を貸したり、あげたりするのは難しいことではない。でも、それだと短期的には助かっても中長期的には何も解決しないどころか、むしろ中長期的にその人を苦しめることが多い。

じつは僕も、学生時代〜社会人前半(正確にいうと子供時代からだけど)は本当にお金がなかった。学生時代は全財産が1500円なんてこともざらにあったし、社会人になってからは借金返済のためになんとか暮らしている状態が続いていた。

その頃の僕のように、今回のコロナの影響で本当にお金の心配をしている人たちがbosyuのユーザーにたくさんいる。

学生時代の借金に苦しんだ社会人若手時代の僕のように。
そういう人にとって大事なのは「お金を稼げるようにしてあげること」に尽きると思っている。
しかもその経験を経て、誰かに喜んでもらったり、自分が承認される喜びを味わったりできるのが「仕事」の本来の面白さ、根本的な価値だと思う。

だからこそ「しごと」を通じて、「お金」を得られる経験をできる人を増やしていくことにフォーカスしたいし、そういう体験をする人を増やすことに給付金を使いたいと考えている。

※この文章は、freeeがnoteで開催する「#給付金をきっかけに」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。



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