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ガワのついた生主

演者のゴシップやゲームの権利問題など話題に事欠かないVtuber界。かつて四天王と呼ばれた動画中心のVtuberが活躍してた時代の夢を追い、現在の配信タイプのVtuberを憂う人たち。その人たちが口をそろえて言うのが「ガワのついた生主」。

Vtuber批判のときに紋切型のように言われるこの言葉。本当に「ガワのついた生主」なのだろうか。それじゃダメなのだろうか。

ニコ生の女帝

人気Vtuberはかつてニコニコ生放送で活動をしていたいわゆる生主が多いということはもはや公然の秘密となっている。いくら素人の生配信といえども、ある程度の経験がモノを言い、大手の箱の採用条件には配信経験が当然のように書かれているので、日本の配信プラットフォームで長らくトップを走っていたニコ生の出身者が多くいるというのは何ら不思議なことではない。4年ほど前、そんな元生主達が逆立ちしても達成できないようなチャンネル満員(同接5000相当)を達成できる配信者は有料配信で運営から5000人以上入る枠を与えられていたキヨ、幕末志士と、無料で配信している加藤純一、横山緑、うきょちぐらいであった。Vtuberを「敗者復活戦」と揶揄するならば、この人たちは勝者の側にいたのだ。特にうきょちは女性配信者でこのカテゴリに入っており、女生主の中では飛びぬけた人気を誇っていた。うきょちはおならと形容されるような特徴的な萌え声と平日でも6時間、休日には10~12時間ほぼ毎日配信するモンスターぶりで人気を博した配信者で、主にゲーム配信、たまにカラオケと今のVtuberと同じようなことをしていた。点呼芸でコテハンに書かれたセクハラや命令にも応じ、今のVtuberが1万円の赤いスーパーチャットをもらってやるようなことをタダでやっていた。うきょちは今でも配信を続けているが、同接は1000~2000人程度であり、かつての勢いは失っている。配信プラットフォームの複数回移動等の視聴者が離れるタイミングがあったのは確かではあるが、一番の理由は加齢により女性配信者としての旬が終わってしまったのだ。誰も30代半ばの既婚のおばさんの配信をディグって新しく見ようとは思わないのである。

容姿ロンダリング

女性Vtuberはどうだろう。あってないような設定で年齢をごまかし、声帯の筋肉が衰えない限りは野沢雅子が悟空でいられるようにVtuberであり続けられる。仮に年齢をリンクさせていても容姿は美しいまま、女性配信者の負の側面を取っ払っているように思える。ニコ生の盛り上がってた時期的に、うきょちと同世代、もしくはそれより上の演者もたくさんいるだろう。「ガワのついた」は女性配信者にとってはメリットばかりである。実際、女性配信者で高い同接たたき出してるのは芸能人かVtuberぐらいであり、こと女性配信者に限っては「敗者復活」ではなく「勝者の前提」になっているのだ。せいぜい同接3桁の女生主がガワを着て、大手の箱からデビューするだけで4桁、5桁に跳ね上がり、たくさんの投げ銭をもらえるようになる様は隔世の感がある。

なお、男性配信者はそうはいかない。箱に所属したり、Vtuberとしてデビューすることで最初の注目は浴びるかもしれないが、ライバルはリアルの凄腕配信者たちであり、面白さやゲームのうまさ、なにか容姿以外の特徴をもってないとすぐ埋没する。容姿を生かしてアイドル性に特化しても、その先にいるのはすとぷりやヒプマイである。男性Vtuberは女性ほどは容姿ロンダリングの効果を見込めない。

にしても、有名イラストレーターをあてがい、商社やベンチャーキャピタルが億単位の投資をする先がツイッターフォロワー4桁の生主というのは非常に興味深いことである。

まとめ

現在バーチャルyoutuberと呼ばれる人達のメインストリームは生配信であり、「ガワのついた生主」と半ば皮肉めいて言われるようになってもう2年近くがたつ。ゲーム歌雑談凸待ち。古来より生配信で行われてきたこと、「ガワの意味あるか?」と疑問符がつくようなことをやっている。しかし、オタクに生主は推せない。異常な片親率、低学歴、半グレ、社会不適合者の集まりという生主のイメージをガワで薄め、「推し事」という名の財貨消費フェイズを経る事でようやく自分の業を肯定でき、恥ずべき萌え声生主の囲いからツイッターで推し絵文字をつけて臆面もなく馴れ合えるバチャ豚へ昇華できるのだ。ロールプレイを捨て「媚び」をバカにしてるvtuberもガワがある時点でオタクに「媚び」てるパラドックスから抜け出せず、「媚びないロールプレイ」をしてるだけだ。でもそれは間違いではない。動画編集がなく面白いとは決して言えない瞬間も多い生配信で求められるのは親近感、身近さであるからだ。その求められてるものの性質上リアリティショーと比較してる人もいたが、いくら偽った現実で人の色恋をおもちゃにする低俗な番組でも、ナショナルクライアントがスポンサーについて、BPOに怯えながら沢山の大人が知恵を絞って作ってるテレビ番組に変わりはなく、比べるに値しないくらいvtuberの配信はさらに低俗なものだ。低俗故の身近さを求めながら、汚い部分は見たくないというめんどくさいオタクの歪曲した欲求を満たせるのがVtuberであり、リアルの配信者にはない魅力なのかもしれない。


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