北海道の感じ

旅行というとまず観光、でなければバックパッカーなんかを連想するが、私はいずれもあまり得意でない。観光もその土地の歴史や文化などの背景を知った上でならば楽しめるが、大概は情報過多でくたびれる。またバックパッカーのような旅に至っては、潔癖気味の私にとって苦行となるであろうことが容易に想像でき、食わず嫌い状態である。
では旅行はあまりしないのかといえば全くそうではない。むしろ常に機会を伺っており、 夫を放置してでも定期的に出かけている。決して一緒には行かない。
行き先は9割が北海道である。北海道には空港に降り立った瞬間から特有の「感じ」が ある。気温の低さや土地のスケールの大きさによるところもあるのだろうが、そうした物理的な解釈だけではいまひとつしっくりこない。まして何か特定の場所や出来事を指しているわけでもなく、私自身未だ研究中である。なんにせよこの「感じ」自体が旅の最大のコンテンツであり、醍醐味であるといえる。以降、ここではそっくりそのまま「北海道の感じ」と呼ばせていただく。
北海道の感じを満喫するには、前述のとおり一人で行くのがキモである。旅先では地元 の暮らしに混ざり込むのが嬉しいので、グルメや観光スポットはあまり重要でない。もちろん家族や友達との思い出づくりにはそれも楽しいが、私がひとり旅に求めているのは、外から訪れる者のために用意された要素ではない。遠く離れた知らないまちでも人々が普通に暮らしている現実にかえって非日常の趣があり、それも北海道の感じに大きく寄与していると考える。
食事はできるだけ地元のスーパーで調達するか、そのへんの喫茶店や定食屋を利用する。 稚内で泊まったホテルにはレストランもあったが、駅前のスーパーで夕飯を買い部屋で食べた。買ったのは稚内ならではの食材ではなく、インスタントのスープやら納豆巻きやら漬物やらどこでも手に入るようなものである。稚内市民に交じって夕飯を買う過程でこそ北海道の感じが味わえるのだ。余談だがスーパーの帰り道、ホテルの前に巨大な犬がいるなと思って近寄ってみると、それは犬でなくエゾシカだったので走って逃げた。
あとはとにかくよく歩くことである。私は自動車免許を取っていないため必然的に移動が徒歩か公共交通機関になるのだが、できるだけ土地に接触することで北海道の感じをより濃密に味わえる。秋の帯広で幹線道路沿いにある地元の回転寿司店に入ったときも北海道の感じはすごくあった。日本中でみられる郊外の画一的な光景にさえも、北海道の感じのもとには旅情が伴う。
北海道の感じを適切に説明できた試しがない。いつか言語化することを目標に、今日も北海道に行く機会をうかがっている私である。

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