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大人の「現代文」79……『こころ』先生の「卑怯」の在処


親友関係の「掟」 


 改めて確認します。『こころ』は上中下の三部構成になっていますが、一番肝心なのは「下」です。何故かというと、シンプルなことですが「上・中」では青年が語り手であって、あくまでも先生は「語られる人」であるからです。ズバリ先生自身が生の声で渾身の告白をした部分が一番確かな情報であると考えるのが自然だからです。

 次に、その先生が、開口一番、自分は「倫理的」人間であり、告白の中心は「自分の卑怯」といっているということです。すなわち、自分がどういう点で「卑怯」であったかという「倫理的悔悟」が言いたいことであるということです。

 では、それが、誰との関係どういう「卑怯」であるかというと、いうまでもなく「Kとの関係」においてです。これから、順次掘り下げますが、これが、いわゆる三角関係風に語られるということです。といっても、この話、実は「三角関係」ではありません。お嬢さんのホンネの気持ちは全く不明だからです。あくまでもこれは先生とKとの相互関係……いやいやこれも正確ではありません。一番正確に言うなら、先生の分裂した自己と自己との、いわば一人称の葛藤と読めるからです。

 それでは、先生は、一体何に「分裂・葛藤」したのか?ここ見落とされがちと思うのですが、「親友との関わり」のルールなのです。思い出してください。『舞姫』の豊太郞は、相沢の「エリスと別れよ」という忠告に、拍子抜けするほどあっさりと「わかった。しばらく別れるよ」と従いましたよね。友に対する反論はないんです。なぜか?「親友」は百パーセント相手のためを行動し合う無私な関係だからです。

 これは、先生とKの関係においても同様なはずなんです。実際、先生は、自己の利益など考えず、「純粋にKの為を思って」下宿に引っ張りこんだわけですよね?独立心の強いKも、実は、この関係性を信じているわけです。

 要するに先生とKは百パーセントお互いの無私を信じ合う「嘘のない状態」が大前提な訳です。これが親友同士の関係、あるいは、暗黙の「掟」なのです。で、むろんKはそう思っています。それでは先生はどうか。その掟に従っているか?それを信じているふりをして、真逆な行動をしていないか?いわゆるダブルスタンダードはないだろうか?ここに「卑怯」の正体が見えてくるのです。


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