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大人の「現代文」78……『こころ』たかまる先生の嫉妬


お嬢さんへの疑惑


 房州から帰京した当初、先生は、お嬢さんが、Kより先生にいろいろ心配りしているように思えて密かに凱歌を上げます。しかしそれもつかのま、お嬢さんとKとの明らかな接近に、先生は再び嫉妬の苦悩に突き落とされます。下の三十二からです。その出来事を見てみましょう。

 九月から新学期が始まって十月のある日。帰宅すると、まだ帰っていないはずのKが居て、Kの部屋からお嬢さんの笑い声が聞こえてきました。しかも、お嬢さんは、先生の帰宅に気づいてさっと姿を消したのです。あきらかに二人は、遠慮のない会話をしていました。しかも、そのお嬢さんがさっと姿を消した振る舞いに、敏感な先生は、お嬢さんの心の中での、Kの位置の微妙な変化に気づきます。

 お嬢さんは、だんだんKに対して「平気」になってきます。Kの部屋に入ってゆっくりすることが多くなります。あきらかにKは「わけのわからない変わった人」でなくなるのです。(下 三十二)

 十一月のある日、帰宅すると、Kは帰宅したらしいものの、不在でした。なんとなく賑やかなところに行きたくなった先生は散歩に出かけます。すると、その途中、驚くべきことにKとお嬢さんが二人連れで帰ってくる姿に出っくわします。お嬢さんは、「心持ち薄赤い顔をして」先生に挨拶したのです。挨拶以上の会話は交わしませんでした。(下 三十三)

 先生の心の中の疑念はますます昂ぶってきます。こう書かれています。

    Kの来た後は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではな
    かろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。(下  
    三十四 ちくま文庫)

 そして、年が暮れて正月、「カルタ事件」が起きます。先生とKはお嬢さんに引っ張り出されてカルタをする羽目になります。全く、手が出せないKにお嬢さんは加勢をし始めます。しまいには「二人がほとんど組になって私に当たるという有様」で、先生は「相手次第では喧嘩を始めたかも知れない」状態になりました。

 というわけで、思想に没頭して孤独なKを「人間らしく」しようとした先生のもくろみは、成功し過ぎて、今度は、先生は身動きが出来なくなります。ここで、先生は、自身の恋愛観についてこう語ります。

    はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は
    口へ云い出す価値のないものと私は決心していたのです。……こっ
    ちでいくら思っても、向こうが内心他の人に愛の眼を注いでいるな
    らば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。(下 三十
    四 同)

 もし、先生が、本当にこの通りの考えなら、この『こころ』の「悲劇は起こらなかったと私は思います。なぜなら、お嬢さんと奥さんに、先生かKかの選択を委ねれば良いからです。

 でも、そうはいきませんでした。いよいよ、Kの口からとんでもない告白が開始されます。いよいよクライマックスになります。次回から、私がたどりついた「卑怯」の読解を紹介します。


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