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大人の「現代文」72……『こころ』先生とK

Kとの関係



 前回、先生は基本「信頼を持てるか否か」という視点で、奥さんを見ていると指摘しました。(先生は自分でも言っていますが)常にビクビクしているわけです。奥さんが叔父と同様自分の財産を狙っているのかもしれない?お嬢さんも、(愛の気持ちを抱きつつも)ひょっとして奥さんと結託しているのではないか、と信じ切れない気持ちもあって、もう一歩結婚へ踏み切れなかったわけです。先生は確かに、一種病的なほど「人に信頼感を持てるか?」に、常にこころを削がれているのです。

 さて、このように、常に誰かに対して、信じられるか否か、オドオドしているという告白を聞くと、これとは全く正反対の態度、すなわち、百パーセントお互いが信頼し合う精神的合体関係について、皆さん、何か思い出されることはありませんか?あれですよ。あれ。

 それが、『舞姫』の豊太郞と相沢の関係なのです。豊太郞は、驚くべきことに、「エリスとの関係を切れ」という親友相沢のアドバイスに、「わかった、しばらく切るよ」と即答しましたよね?理由は「友に対してはノーといえないから」だったですよね?親友関係なら相手の提案がどんな不合理なものであれ「ノーとは言わない・言えない」のです。なぜでしょうか?親友関係は、純粋に信頼できる関係、すなわち、相互に百パーセント純粋に相手のためを思って行動し合う関係だからでしょう。であるがゆえに、「ノーとは言えない」でなければ、こういう関係理解しがたいですよね?

 先生においても、同様の純粋な信頼関係を持った「友」がおりました。これがKです。と言っても、Kは、相沢と豊太郞の関係のような、シンプルな親友関係ではありません。Kは相沢のように常識人ではありません。一筋縄ではいかない偏屈なタイプではあります。しかも、先生はKを「子どものときからの仲好し」とは言っていますが、「親友」とは言ってはいません。加えて、親友の名前がアルファベットのKというのも若干違和感がありますが、先生のKに対する救済の振る舞いは、並一通りのものではありませんし、Kにとって先生が唯一の心許せる存在であることは、疑い得ないと思います。二人は「親友関係」といってさしつかえなかろうと思うのです。

 さて、そのように先生とKを親友関係とすると、先生が死ぬほど悔いている「卑怯」な行動が、どういう点で「卑怯」なのか、定まって参ります。そこに焦点を絞り、次回から探求してみましょう。

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