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大人の「現代文」81……『こころ』先生の卑怯を具体的に考えます

まず卑怯その1


 

 Kの、お嬢さんへの恋心の、しかも突然の告白に「不意打ち」を喰らって茫然自失した先生が、徐々に自分の判断を取り戻していくとき、先生はもはや本来の先生ではなく、Kもまた、もはや本来の親友Kではなくなります。正に「よそよそしい頭文字」Kという存在になります。引用します。

    私には第一に彼が解しがたい男のように見えました。どうしてあん
    なことを突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければ
    いられないほどに、彼の恋がつのってきたのか、そうして平生の彼
    はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問
    題でした。私は彼の強いことを知っていました。また彼の真面目な
    ことを知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前
    に、彼についてきかなければならない多くを持っていると信じまし
    た。(第一学習社教科書 『こころ』より引用)

 先生は、Kを「人間らしくする」ために、積極的に奥さんお嬢さんに、Kをあたたかく扱って欲しいと頼んだにもかかわらず、Kがお嬢さんへの恋心を明かしたら、「強く真面目な」Kが、どうして「お嬢さんに恋するほど人間らしく」成ってしまったか解せない、と言っています。あの堅物のKなら、まさかお嬢さんに恋心を抱くはずはないと高をくくっていたというわけです。「そりゃ甘い!」とつぶやきたくなりますが、それほどKの「人間らしくない思想」が先生には堅固に思えたというでしょう。

 ですが、私がもっと注目したいのは、この次の下りなんです。引用します。

    同時にこれから先彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。
    私は夢中に町の中を歩きながら、自分の部屋にじっと座っている彼
    の容貌を始終目の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても
    彼を動かすことはとうていできないのだという声がどこかで聞こえ
    るのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょ
    う。私は永久彼に祟られたのでなかろうかという気さえしました。
    (同)

 これで、「よそよそしい頭文字」でKが示される理由がわかろうというものです。Kは一種の魔物、になってしまったら、もはやKは「相手の言うことにノーとは言えない」間柄である「親友」ではありません。
 
 でもよく考えてみてください。いかなる理由があれ、「親友」を「魔物」と捉えていいのでしょうか?これ自体が一種の欺き(あくまでも、絶対信頼を前提にするならばですよ!)「卑怯」なことではありませんか?


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