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大人の「現代文」82……『こころ』さらに「卑怯」を探求します

卑怯その2


 先日、物理学者の人が、法則はシンプルであればあるほどよい、とおっしゃっていましたが、これは文学でも言えるんじゃないかと私は思うんです。もちろん、人間のこころは様々で、時に複雑怪奇ではありますが、一方ではある種の法則に則って、人間生活を送っていますよね。それがなければ単なるカオスです。無秩序と、一見無秩序とは根本的に違います。ホントにカオスだったら、人間は生きてはいけません。「感じる」とか「認識する」という人間共通の「秩序」があるからこそ、人間は人間なんですよね。

 『こころ』の読解も同じです。この小説、ものすごくたくさんの人が沢山の読解をされておりますが、そういうたくさんの読解が貴重であることは認めつつ、根本は一つのことを訴えているんではないかと思うんです。

 で、それは何かというと、今まさに読解している、「人間にとって卑怯とは何か」もしくは、それをひっくり返した、「人間にとって信頼とは何か」という「秩序」です。漱石は、人間の持っている最も根源的な秩序である「信頼」に注目してその「秩序」が破壊されるとはどういうときか、を問題にしていると私は読むんです。こういう普遍的なことを問題にしているからこそ、この『こころ』という物語が、多くの人の「こころ」にヒットするんじゃないでしょうか?

 というわけで、卑怯その2に行きます。先回では、先生がKを「魔物」と捉えることが「卑怯のはじまり」と書きました。もうこの時点で、先生は「親友関係」から離脱し始めるのですが、その結果がどういう行動になるか注目しましょう。

 Kの突然の告白に意表を突かれ、その反撃のチャンスを虎視眈々と狙っていた先生に、チャンスが訪れます。この辺りから皆さん記憶にあるんじゃないですか?Kが図書館で勉強していた先生を連れ出して、恋にはまった自分への批評を求める場面です。

    (上野公園で)そのとき彼は例の事件について、突然向こうから口
     を切りました。……彼は私に向かって、ただ漠然と、どう思う言
     うのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼
     を、どんな目で私が眺めるかという質問なのです。……(私が)
     これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
     私がKに向かって、この際なんで私の批評が必要なのかと尋ねた
     とき、彼はいつにもない悄然とした口調で、自分の弱い人間であ
     るのが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自
     分で自分がわからなくなってしまったので、私に公平な批評を求
     めるよりしかたがないと言いました。(第一学習社 現代文教科
     書より)

 Kは先生に「公平な批評」を求めたわけです。むろん、これには省略されているワードがありまして、「親友として」というワードを冠して読まねばなりません。先生がどう返事をしたか、そこに卑怯2が現れるわけですが、次回にします。

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