2020/07/20

どうも自分の中で、正と負のバランスが取れなくなってしまい、転倒してしまった。それでも昼から仕事だったので出かけた。頼られるうちが花である。自分は本心が表情に出やすいタイプなので、なるべく平然とするよう努めた。なかなか大変だ。

帰りは20時頃、そういえば朝から食事は携帯固形食(レモンの皮の味がするやつ)1箱で済ましていたのに気づいた。あまり良くはない。帰りに菓子パン2本とおにぎり1つ買い、駅から自宅までの間に食べ歩いた。

陽の当たる時間に外に出てはいなかったのだが、今日は相当暑かったはずだ。カッターシャツが汗をかいていた。家に帰ってからクーラーにドライ運転をさせていると、ゴゥゴゥ大きな声で唸っている。排熱し放題だ。ノリノリだなお前は。

去り際にMytterというアプリを教えてもらった。某つぶやきサイトによく似たインターフェースを持つ「自分だけSNS」アプリである。いま自分とメタモンを会話させている。心の旅をするには十分な広さだ。上のリンクはAndroid版だが、iOS版もあった。

あまり本を読む気がせず、また、帰り道も本屋を避けてしまった。老子の本はいい。老子は2000年前に死んでいる。それどころか本当に生きていたかも不明という存在だ。スティーブン・キングもいい、彼はこの世とあの世を行き来して本を書いている(これは冗談です)。

今日もスティーブン・キングの「書くことについて」に触れた。パラパラとめくったつもりだったのだが、偶然開いたページにいいことが書いてあった。少し長いが、以下に引用させていただく。

ものを書くのは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人をつくるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊かにし、同時に書くものの人生も豊かにするためだ。立ち上がり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ。おわかりいただけるだろうか。幸せになるためなのだ。本書のかなりの部分は(少し長すぎたかもしれないが)私がどうやってそれを学んだかということに費やされている。そして、その多くはどうすればもっと巧く書けるかということについての記述である。残りは(ここがいちばん大事なところだが)許可証だ。あなたは書けるし、書くべきである。最初の一歩を踏み出す勇気があれば、書いていける。書くということは魔法であり、すべての創造的な芸術と同様、命の水である。その水に値札はついていない。飲み放題だ。腹いっぱい飲めばいい。(『書くことについて』 p358-359, 著:スティーブン・キング, 訳:田村義進, 出版社:小学館)

完全な答えがここにあった。後は些末なことだ。だが、人間だから(フグだが)些末なことを解決するのにも時間がかかる。折り合いをつけるためには、どうすればいいか。方法はあるのか。その問題は、地平の向こうまで開かれている。

共有の本棚に、自分がしばらく読めそうのない本を封じる。僕にはキーボードとプリンタと万年筆とがある。

(2020/07/21 へ続く)

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