2020/09/08

起きた。今朝は菓子パンとアイスクリーム。実は夜更しどころから6時まで起きてしまっており、完全にバランスを崩していた。昼まで寝て、14時頃からおもむろに自らの処遇をどうするか、考え始めた。

ここ2ヶ月位の射程で振り返ってみると、まず新しい筆名を掲げて活動をし始めるなどを行った。奇行と写ったかもしれない。それ以前とは異なる自分の運用を試みており、これは自覚的にやっている。謎のフグは、自己開示するフグとなった。

しかしながsら、僕は新しい自分のキャラをいまだ十分に乗りこなせておらず。「これでやっていく」という焦点を欠いたまま、いたずらに6週間ほどを過ごしてしまったように思う。

「最近3週間のうちにやったことが、その人のイマをほぼ代表している」という持論を持っている。6週間はその倍で、ほとんど(意味的)細胞は入れ替わっていなくてはいけない時期に来ている。

それを鑑みて、新しいフグはどうなのか、まだ得体が知れていない。筆名も浮いたままで、着陸する地点を見失っている。混乱している。

これまで僕は、大抵の「何か測定可能な目標を立て、それを達成しよう」という種の試みに関しては、成功したか失敗したかはともかく、こうしたらいいだろうとひとまず仮説を立てて、やってみることができた。それが僕の主たる「方法」だと信じているからだ。

いまは、その「方法」の「方法」で悩んでいる。新しいフグの採用する方法も、これまで通り「何か測定可能な目標を立て、それを達成しよう」でいいのだろうか? そこに疑義が生じている。これは危険な質問で、拘泥しすぎれば、身動きが取れないし、かといって無視すれば、何を志しているか意義が揺らいでいく。

言い換えると「何か分かりやすい目標に向かって努力し、それを叶えていく」というストーリー構造にばかり、自分は乗っていっていいのか、ということに疑問を持っているのだ。たとえば「もっと分かりにくい目標に向かって、何か労力をかけているのだが、それが何かは傍目からは分からず、僕があるときふと手を止めて静かになり『何かが完成に至った』とだけ告げて、その場で寝転ぶと、果たしてそこに『何か』ができている」ようなストーリーは、可能ではないだろうか?

ということで、悩んでいたのだが、この悩みがそのまま、また作品のテーマとして取り込まれている。再起だ。取り込まれたテーマに、再度自分が取り込まれないように気をつけながら、これを延々と限界まで編んでゆき、完成したものを掘り起こすしかない。それが僕の役目だからだ。

この悠長な方法には余裕が必要だ。明日からは第1第2にも、専ら余裕を作ることを最大の目標にしてやっていこうと思う。怠惰ということではない。例えば、掃除を努めず、あまり意識にのぼらないうちに済ませてあるようにする。他の習慣についても同様だ。どうだろうか。

- 睡眠時間 6-14 (8h)
- 筋トレ:下半身コース

あしたは6時おきです。

(2020/09/09 へ続く)

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