必死に頑張って掴んだ夢の世界は、本当はやりたくないことだった
はじめまして!楠元秀真です。
僕はSEM(ソウルエッセンシャルメソッド)と出会って、
・好きでサッカーをやっていたわけではなかったこと
・頑張ってなったプロサッカー選手で成功できなかった理由
・夢だと思っていたものは偽りの夢でしかなかったこと
これら全てが明確になり、そして本当の自分が望んでいたことではなかったことに気付かされました。
「今無理して頑張っている人」や、「望んだ世界を手に入れたのに満たされていない人」には必ず気づきを与えられる記事になってますので、ぜひ最後までご覧ください。
☆好きでサッカーを続けていたと思い込んでいた中・高校生時代
僕は小さい頃からプロサッカー選手になるために、
・辛い練習
・理不尽と思われるであろう指導方法
に耐えてきました。
「練習に行きたくない」と思う日もたくさんありました。
それでも夢を叶えるために自分のネガティブな気持ちを押し殺して練習場へ足を運んでいたのを覚えています。
学生の頃の僕は、
・休むことはいけないこと・弱い人がすること
と思い込んでいたので、風邪を多少引いていても、怪我で身体が痛くてもほとんど休むことはありませんでした。(休む時に監督に連絡することの方が嫌だったのもあります)
それでもみんなとサッカーする喜びを感じていたことは覚えていますが、
「サッカーが好き」という感情はいつの間にか忘れていたことも事実でした。
・一度始めたことは嫌でも続けるのが当たり前
・嫌なことから逃げたらダメな人間になる
・コーチや監督のいうことを聞かなければ上手くなれない
・指導者を怒らせないように頑張らないといけない
こんなことを無意識に思って生きていたんです。
☆大学進学時の転機
僕の家庭状況を考えたら、大学進学は厳しかったので(父親はうつ病を発症していた)高卒で就職を考えていました。
サッカーの道を諦めようとしていた時、僕が行くことになる大学のサッカー部の監督に目をつけてもらっていて、「特待生で来てほしい」とオファーをいただけました。
けど、特待生といっても寮に入らなければならなかったので進学するには奨学金を毎月満額借りないといけなかったんです。
当時の僕は、奨学金がどういうものなのかを深く考えず、
「とりあえずチャンスがあるなら行きたい」という気持ちに従って自分で進学をする覚悟をしました。
ですがその行きたい思いはどこから来ていたのかというと、
・親の期待に応えたい
・親のためにプロサッカー選手になってお金をたくさん稼いで楽をさせたい
という思いが僕の心の奥底にありました。
☆絶対夢を叶えられる自信
プロになる覚悟を決めて進学した大学で、
誰よりもサッカーに対して真剣に取り組みました。
・遊びは極力しない
・遊んでるチームメイトと一緒にいない
・お金は極力節約する
・休みの日もできるだけサッカーをする
・毎日自分で決めたトレーニングを欠かさずやる
プロを目指すなら当たり前だと思われることは全てやってきた自負がありました。
そのおかげで自分の意識はプロになることに集中し、3回生の途中くらいからは『自分はプロに必ずなれる』という謎の確信まで出てくるようになっていました。
『自分がプロになれないなんてありえない』
大学の環境も、2回生まではプロとはかけ離れたものでしたが、それから環境がガラッと変わりました。
元プロサッカー選手の監督、コーチ、プロを指導している外部コーチなど、
サッカー部の環境がプロに近いレベルまで一気に上がったのです。
そのおかげもあり、監督の伝もあってプロのチームと練習試合ができるようになり、そこで目をつけてもらって僕はプロへの切符を手に入れることができました。
ただその前に僕の身体には異変が起きていました。
☆プロ直近で起きた摂食障害
僕は3回生の年始でプロ契約を約束されていましたが、4回生になると他のチームにも練習参加させてもらっていました。
その『他のチーム』の練習試合に参加するたびに、異変が起き始めました。
試合に向かう前に朝ごはんを駅前の『なか卯』で食べていくのですが、全く喉を通らないんです。
それでも試合するから食べないと動けないので、水で流し込みながら食べてました。
今となっては自らが無意識に創り出すプレッシャーに耐えられなかったのだと思いますが、その時は『気のせいだと思おう』と身体の異変を無視していました。
プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、試合には出させてもらえたので自分を鼓舞して頑張りました。
正直そのチームで参加させてもらった試合では毎回倒れそうなくらい疲れていました。
身体が重いし、すぐ疲れるし。
けど僕はディフェンダーだったので、一瞬でも気を抜けば負けに繋がるので、必死に気を保ってなんとか試合を切り抜けてました。
☆本当は参加したくない試合だった
このチームには人数調整的な考えで僕は呼ばれていたので、本当は行きたくなかったのを覚えています。
けどプロになりたいと言ってる人間が、プロの誘いを断わっていいわけないと、嫌でも行かないといけないと思って自分の本当の気持ちを押し殺していました。
そんなことを一定期間続けていると、
普段の大学の練習が終わった後の朝ごはん(朝練習は6時からなのでご飯は練習後)を食べて1人でグラウンドから寮に帰る時、僕は道端で嘔吐しました。
☆身体の異変を無視し続けた代償
僕は毎日のように朝ごはんを食べようとすると気持ち悪くなるようになってました。
けど誰にも相談できず(恥ずかしいことだと思ってた)、その時は体調悪いのかな?くらいに自分で留めていました。
4回生の夏に、僕は晴れてプロ契約を結ぶことができたのですが、そこから地獄のような週末が始まったのです。
大学のチームではトップチームで出場してる4回生が僕だけだったので必然的にチームのキャプテンも任されていました。
弱いチームだったのでリーグに残留できるかどうかのレベルでした。
そのチームでは僕は抜けてはならない存在だと自覚してたので、そのプレッシャーをまず一つ抱えました。
そして土曜日のチームの公式戦が終わった次の日の日曜日に、契約したチームの練習試合に呼ばれるようになります。
僕は特別指定選手という扱いだったので、大学に在学していてもJリーグの試合に出ることが許されていたこともあり、練習試合に参加してほしいと言われていました。
ですが、土曜日に自分のチームのリーグ戦があり、しかも相手にコテンパンにされる試合がほとんどで、良くて引き分け、勝ったら奇跡みたいな状態でしたので試合後はぐったり疲れていました。
その次の日にプロの練習試合に出ることを考えると、当時の僕でも流石に身体がきついことはわかっていましたが、ここで誘いを断ったら悪い印象を持たれてしまうのではないかという不安もあり、仕方なく試合に足を運ぶようになっていました。
・謎の摂食障害
・キャプテンの重圧
・大学の試合での疲労
・プロの練習試合での疲労
4回生ではこんな状況の中、必死に生きていました。
もちろんプロの練習試合では、いいプレーも全くできませんでした。
むしろ悪いプレーしかないくらい集中もできなかったので、毎週のように自分に自信がなくなっていきました。
プロのチームでも、『お前どうした?』と言われるくらい、契約を勝ち取った時の僕とはかけ離れた選手にまで落ちていました。
でも自分でもわかっていたんです。
試合後にまた試合する体力は自分にはないってことを。
「大学生だったらいけるだろ」ってプロのみんなは思っていたのですが、
正直僕には無理でした。
その感覚を無視したから、僕の選手としてのイメージは下がる一方。
それでも「次は、次こそは!」と自分の身体を鼓舞して無理やり頑張っていました。
けど結果は変わらずでした。
大学のチームではなんとか最終戦で残留を決めることが奇跡的にでき、結果を残すことができましたが、プロのチームでは大きくマイナスからのスタートになってしまったのです。
周りの僕に対するイメージだけでなく、
自分の身体も心も壊れかけていました。
☆望んだ夢の世界は地獄の世界へ
僕はプロの世界に入って4年間しか選手としていられませんでした。
そしてその最初の3年間は同じチームでずっと苦しみました。
(チームを変えれるタイミングもありましたが、負けず嫌いだったのでそれは逃げだと思いそのチームに残っていた)
毎朝起きたら吐き気を催し、嘔吐。
嘔吐してしまえば朝ごはんは食べれたのでなんとかなってました。
逆に吐くのを我慢するときついだけなので、「さっさと吐いて楽になってご飯食べたい」くらいの感覚になってました。
そんな状況でも、プロの舞台に立つチャンスが訪れていたので、何千人、時には何万人が観戦する試合に出場してました。
途中からは練習後の昼ごはんをみんなと食べるのさえキツくなり、時間をずらして食べたりもしてました。
また、チームの先輩にも目をつけられてしまい、「下手くそ!素人か!?」と言われることも度々ありました。
僕は失敗を恐れるようになっていたんです。
これまで無理して頑張ってきてしまったが故に不調が続き、
いいプレーも全くできない。
それどころか試合中に倒れそうになるのをぎりぎり我慢してる状態だった(気を抜けば倒れるくらい目はチカチカして頭はグラングランに揺れていた)ので、良いプレーなんてできるはずがないんです。
練習の時ですらボールに触るのが怖くなり、
消極的なプレーばかりの日々=ミスしか起きない
プロに入って僕はサッカーを楽しいと思ったことはないと思います。
夢であった世界を手に入れたはずなのに。
そしてサッカーだけではなく、人間関係での悩みも増え、
お金関係での不安も積もっていきました。
けれどそれはプロに入ってから始まったものではなく、
これまでの人生でずっと避けてきたことでした。
☆「死んだ方が楽だな」と思う毎日
プロに入ってから1年後に今の妻と結婚しましたが、
そんな妻には心配をかけるような言葉しか発せれない状態でした。
「死にてぇ〜」
簡単には口にしてはいけない言葉をたくさん吐き出すことしか自分を保つことができませんでした。
そんな精神状態になっても、
「逃げたらダメだ、負けたらダメだ」
そんな思いを胸に身体を酷使して頑張り、
僕はある朝吐血しました。
吐血というよりは、真っ黒な血の塊を吐き出しました。
食堂かどこかが、吐き続けたことにより切れてしまい、出血していたのです。
その瞬間は「死んだわ」と思いましたが、手術を受け少しの入院で済みました。
ちょうどチームのシーズン前のキャンプから帰ってきて、食当たりが出てしまった時に僕も吐血したので、そのせいにして吐き続けたことによるものと嘘をついたのを覚えています。
そんな状態になっても自分の弱い姿を曝け出すことができませんでした。
☆先輩からのきつい言葉
僕は中学生の頃から怪我をしやすくなり、腰痛持ちでした。
それはプロになっても、どれだけケアをしても変わらずだったので肉離れを拗らせたりしてリハビリ組に入ることが多かったです。
自分でも怪我したくてしてるわけではないですが、
そんな時ある関西出身のベテラン選手に
「いつまで休んどんねん、若いくせに」
関西人なので冗談かはわかりませんが(本気だったと思う)
僕は心底腹が立ったのと同時に、悲しくなりました。
この時にはというか、僕は入団してすぐにチームに溶け込めていませんでした。
☆自分が思い描いていたプロの世界とは程遠い世界だった
僕が描いていたプロの世界は、
・サッカーを純粋に好きな人たちの集まり
・仲間思いの素晴らしい選手の集まり
・遊びよりもサッカーが大好きな人ばかり
・高みを常に目指す選手ばかり
こんな感じでした。
ですが現実は違いました。
・とにかく自由
・好き放題
これ以上は想像にお任せしますが、
僕の理想とは真逆の世界に絶望しました。
プロの世界にいる選手は、中学生の頃から僕が「一緒にいたくないな」と思うような人ばかりだったのです。(もちろんそうじゃない人もいます)
☆自分の価値観を貫こうと努力する日々
プロの世界でも一般企業に勤めている人と同じように、
飲み会というものは存在します。
シーズンが始まる前や途中、シーズン後は絶対飲み会がありました。
その度に「めんどくせー」と思う自分。
なぜならサッカーには全く必要性がないと自分では思っていた2次会があるからです。(想像にお任せします)
入団した当初は嫌々ですが参加せざるを得なかったので、
参加していましたが、
参加しても楽しくなく、
「早く帰りたい」と思うだけでした。
飲ませてくる年下の酔っ払った選手に顔面を引っ叩かれたこともあります。(僕が飲めないからイラついていた)
チームの飲み会の意味を見いだせない僕は、
途中から飲めない口実を作るために、車で会場に向かうという他の選手からしたら奇行と思われることをしていました。
自由奔放な選手とは当然仲良くなれず、
僕はどんどん孤立していたと思います。
(自由だけど、そんな僕を見離さないでいてくれる選手もいました)
☆チームに溶け込めない選手の末路
結局サッカーはチームスポーツですので、
仲間との信頼関係がとても大切です。
僕はたまにチャンスが来ると、ディフェンダーとしてトップチームに入ることもあったのですが、めちゃくちゃやりづらかったのでを覚えています。
結局トップチームにいる人たちは、
自分とは真逆の人間性を持っている人ばかりで、意思疎通も取れず、
なんなら僕との会話もぎこちない。
もはや選手として信頼すらされていませんでした。
ディフェンダーなのでコミュニケーションが命であるポジションなのに、
そして周りに指示をするポジションなのに、僕は致命的な状態だったんです。
そんな選手が結果を出せるわけもなく、
浮いた選手になってしまいました。
☆社長との面談で自分の本音を明かす
3年目の契約更新時(最初から3年契約)に、社長との面談があり、僕は社長にプロ選手としてあり得ない本音を話しました。
・試合に出るときに、負けたらみんなの入るはずだったお金がなくなってしまうことを気にしてしまう
・負けたら他の選手の家族までにも影響が出てしまうことを考えてしまう
こんなことをこれまで思いながら試合に出てしまっていました、と。
僕は無意識に、「試合に負けたら自分のせいにされる」などと思っていたのです。
でも今思えば、チームに溶け込めず、信頼もされていないと感じてしまっていたので仕方のない思考だったと思います。
「けど今は大丈夫です、吹っ切れてます」
と続けて話し、面談は終わりました。
ですがそこで強がって放った薄い言葉だったので、
自分は何も変わっていませんでした。
なので当然のように地獄はその後1年間続きました。
☆3年間所属したチームをクビになり違うチームへ
3年間、地獄のような日々を過ごしたチームでは当然のごとく結果は出せず、契約満了の通知書を渡されました。
その後のチームも決まっていなかったため、
トライアウトに参加して次のチームの契約を結ぶことができ、
プロサッカー選手として続けることができました。
一つカテゴリは下がりましたが、
「ここからもう一回這い上がってやる」という気持ちを持ち、
希望を持って入団しました。
そんな希望もすぐに朽ち果てるのでした。
☆前チームと同じような経験を繰り返す
最初は調子が良かったものの、結局膝を怪我してしまいシーズンの半年を棒に降りました。
怪我をしたのもありますが、それと同時にチームの選手との人間関係にも同じように悩みました。
やはりどこに行っても僕の理想とはかけ離れた世界で生きている人ばかりでしたので、「一緒にいたくない」という気持ちが強かったです。
でもその価値観を貫くことができず、
・周りに合わせるのも嫌われないため
・チームで試合する上では大事なこと
ということが頭によぎって苦しみました。
前チームの時の自分から全く変われていませんでした。
☆上手くいかないまま夢のプロの世界から退くことに
最後のチームも1年で契約満了を告げられてしまい、
自分はプロから退くことになりました。
嬉しかったこと、楽しかったことなど一切ないと言えてしまうくらい、
僕はプロの世界を辛い経験としか思えませんでした。
それからは工場に勤めながら仕方なくサッカーも続け、
どうにか自分のできることでお金を稼いで独立することを目指して「サッカーパーソナルコーチ」として活動することを決めます。
☆SEM(ソウルエッセンシャルメソッド)創設者との出会い
SEMの創設者(津久井さん)と出会ったのは、某起業家のコミュニティの合宿でした。
だんだんコミュニティに違和感を感じ始めた僕はその日を最後にそのうち脱退しようと思っていたのですが、その時に隣の席に座ったのが津久井さんでした。
出会った当日は起業家の号令で自己紹介など軽いワークをして終わり、
帰り道に見かけたので声をかけると、家が近いことがわかり一緒に電車で帰らせてもらいました。
ですが津久井さんは途中から特急(有料)で帰るとのことだったので、
「一緒に乗る?チケット取るよ?」と言ってくれたのですが、
その優しさを受け取れず、「普通に帰ります」と言って別れました。
あの時は津久井さんに対して
「お金たくさん持ってるんだろうな〜。いいな〜。」くらいにしか思っていませんでした。
☆トレーニング依頼者さんからのメンタルトレーニングの要望
地道にパーソナルコーチとしてお客さんのところへ出張して活動していると、ある保護者様から「息子のメンタルトレーニングをしてほしいのですが、可能でしょうか?」というご依頼を受けました。
当時は起業家の言う通りに行動していて、
・お客さんに「こんなことできますか?」と言われるようになる
と教えてもらっていたので、本当にその通りになってそのことをコミニュティのLINEで起業家に報告しアドバイスをもらいました。
するとその報告を見ていた津久井さんから「力になれることがありますので、いつでも連絡してください」と言っていただき、
「メンタルトレーニングなんてやったことないから、聞いてみよう
」ということで、津久井さんと直接会うことになりました。
会ってみようと思った1番のきっかけは、
「親を変えなければ、子供は変わらないです」
ということを津久井さんに言われて、ものすごく同意したからです。
☆自分の辛かった過去を吐き出す4時間
話した内容を詳しくは覚えていませんが、とにかく自分の過去にどんなことがあったのかを全て赤裸々に話しました。
(妻以外に話したのは津久井さんが初めてだった)
いつの間にか4時間も話を聞いてもらい、
その時はなぜか自分が心の奥底に隠していたものを全て見透かされているような感覚がありました。
そして、結論は
「まずはお客さんを変えることより、僕自身が本当の自分に戻らないといけない」
ということを気づかせてくれて、SEMをやるかどうかは考えると伝えてその日は終わりました。
☆SEMで浮き彫りになる自分を苦しめていた「思い込み」
結論僕はSEMの講座を受ける決意をしました。
その時はこの先どうなるのかなんて全く予想もできていませんでしたが、
「とりあえずやってみよう」という気持ちでした。
僕自身、津久井さんに直接「今、悩みはある?」と言われて、
「いや、悩みという悩みはないですね。笑」と答えました。
今思えば笑えるんですが、セッションを続けているとすぐに悩みが25個くらい出てきました。(悩みを悩みだと思わないくらい麻痺していた)
そして、日が経つにつれて自分の思い込みは無数に存在していることに気づき、
「こう思うのは当たり前でしょ!?」と思うものまですら、思い込みだったのです。
例えば
・お金は無駄遣いせずに、将来のために節約して貯金しておかないといけない
・お金があったら人生が楽しくなる
というお金についての価値観や、
・親は子供のために無理してでも嫌な仕事をしてお金を稼がなければいけない
・自分のことは後回しにして、家族最優先が男の役目
・家族の幸せが自分の幸せ
という親という存在についての価値観だったり、
・人に合わせないと仕事でうまくやっていけない
・他人に嫌われないようにしたほうが楽
・自分の本音を伝えたら、相手が傷つくかもしれないから言わないほうがいい
という人間関係の価値観。
これら全てが思い込みであり、
そしてそれを過去世から引き継いでしまっていることを知りました。
どんどん思い込みに気づいていくと、
・自分がサッカーでなぜ成功できなかったのか?
→サッカーを好きで続けていたわけではなく、「親のため、お金を稼ぐため」に続けていたから。
→常にお金のことを考えていたので、お金が関わるとものすごくプレッシャーを感じていたから
→プロは失敗が許されない世界だと思い込み、失敗を恐れてしまっていたから
→「プロ選手とはこういうものだ」という固定観念が強く、それと合わない選手は「ダメな選手」とジャッジしてしまい、チームメイトのダメなところばかり探していたから、相手からしたらうざい人間になっていた
などと、他にたくさんありますが、僕が夢の世界でうまくいかなかった理由、楽しめなかった理由が理解できました。
要するに「本当に好き」なことでないから、
いろんなもの気にしてしまうのです。
「そりゃうまくいかないわ」
最初は受け入れ難いこともありましたが、
思い込みに気づいた時はそう思いました。
☆思い込んだまま生きた結果の恨み
僕は親のためにプロサッカー選手になりました。
・親を幸せにすることが自分の幸せだ
と思い込んで。
ですが成功せず、残ったのは奨学金という名の借金600万円。
でも親は何も助けてくれません。助けてほしいと思わなかったけど、
「あなたたちのために頑張ったんだぞ」
「家にお金があれば、借金なんて背負う必要なかったのに」
という被害者意識を持っていたことに気づきました。
全て自分で決断してきたことなのに。。。
でも自分で決断したことすら忘れてしまうのです。
そして、今まで得てきた喜びや楽しさ、
いろんな人に助けてもらった感謝を忘れた僕は、
「今までの人生、辛いことばかりで苦しかった。
でも自分一人の力でここまでやってきた」
という思考になってしまっていました。
被害者意識のまま、「自分はかわいそうでしょ?」が抜けず、
先に進めない人間になっていたのです。
そんな自分に気づかせてくれたのがSEMでした。
☆SEMがもたらした自分への大切な気づき
・今までの人生、いろいろ親や先生、コーチや監督、起業家から「こうしろ、ああしろ」と言われてきたが、最終的にどうするかを決断していたのは全て自分だったということ
・親のためにプロサッカー選手になると決めたのも自分だったということ
・サッカーが好きで、それができればいいと自分に言い聞かせていたけど、サッカー以外のことは全て我慢して自分に制限していたから、周りの人が自由そうで羨ましかったこと
・家にお金がなかったからこそ、ど底辺の選手からでも自分を信じて覚悟を決めて突き進み夢を叶えられたこと
・今までたくさんの人たちに助けられてここまで生きてきたということ
・今までの人生で楽しかったことや幸せだったことがどれだけあったかを思い出したこと
・自分の潜在意識に入っている間違った価値観(思い込み)によって自分が生き苦しい世界を自ら創っていたこと
・お金が稼げていても幸せにはなれないということ
・本当に好きなことをやらないと豊かになれないということ
・自分を幸せにできなければ、誰も幸せにできないということ
・自分でしか自分を幸せにできないということ
・自分の魂の望ように生きるしか幸せはあり得ないということ
まだまだたくさんありますが、
当たり前の人にとっては当たり前のこともあると思います。
けど僕はSEMに出会うまで全く気づけませんでした。
☆この悩みは僕だけの悩みじゃない
多分日本に住んでいる大半の人が、
・成功するには嫌なことも我慢して努力する必要がある
とか
・寝る間も惜しんで行動しなければ成功なんてあり得ない
などと思い込みながら自分に鞭を打って生きてる方がたくさんいらっしゃると思います。
ビシネスをやっている人ならなおさらそうだと思います。
「好きなことやってるはずなのに、なんでこんなに辛いことばかり起きるの?」
「望んだ世界を手に入れたはずなのに、なんでこんなに幸せになれないの?」
そんなどうしようもなさそうに感じる悩みから簡単に思われる悩みを全て解決でき、
自分では気づかない「思い込み」による本当の自分とのズレに気づかせて整えられたのもSEMのおかげです。
おかげさまで自分の人生になかった「幸せ」という言葉が日々の生活で見つかり、「自分ってこんなに今豊かなんだ」と実感することができるようになっています。
今までの人生経験を「いらなかったもの」と蓋をしていた自分から、
「いろんな経験ができてよかったし、この経験を他の困っている方のために使えるなら嬉しい」と思えるようになり、今僕は自分を救ってくれたSEMのアルティメットコーチを要請するインストラクターとして活動しています。
長々と書かせていただきましたが、
夢を叶えたくせに、人生が楽しくないと思いながら、
それを他人のせいにして生きてい僕でも、変わることができました。
もしSEMのセッションに興味を持たれている方がいらっしゃいましたら、
下記の僕の公式LINEと友達になってくれれば
無料でセッションを体験していただくことが可能なのでご活用ください。
SEMの「整え」って何?と思われる方はこちらの記事をご覧ください。
「思い込み」って何?と思われた方はこちら↓
最後までご拝読いただき、ありがとうございました。
楠元
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