「言葉にできない」~オフコース(1982年)
小田和正と鈴木康博を中心とする第1次オフコースの全盛期に発表されたアルバム「Over」に収録され、その後は小田さんもセルフカバーしているほかCM曲にも採用された名曲・「言葉にできない」。
このアルバムの前年には「We are」というアルバムが世に出て、オフコースの地位を確固たるものにした。
当時、全国ツアーに向けて各ラジオ局の音楽番組に出演していたオフコースのメンバーに、「We are」というネーミングの由来に関する質問が多く寄せられ、小田さんが「We areの後に続くのは○○という名詞かもしれないし、Yes, we are かも、We are overかもしれない」と答えていた。
次のアルバムタイトルを楽しみにしていた私は「over」と聞いて、とても驚いた。「私たちは終わりだ」という意味。それからさほど時期を置かずに鈴木康博さんの脱退が公表された。
初期のオフコースを聴いている人の多くにとって衝撃的なニュースだった。小田&鈴木のハーモニーこそがオフコースの醍醐味だったし、2人の楽曲が揃ってこそのオフコースだったからだ。
「言葉にできない」が発表されたとき、歌詞の内容を巡って私と周りの友人との間で意見が真っ二つに割れた。
友人は「自分が永遠に続くと信じていた愛がなくなり、その理由は己の人間としての小ささにあると思い続けながらも、人はひとりで生きていけないから、と愛を求めて、その結果、新たな人と巡り会うことができて、喜びを感じる」というストーリーを主張した。
私の解釈は↓に記すが、こちらの方も同じような解釈を、私よりも分かりやすく説明されておられるので、読み比べていただきたい。
永遠に続くと信じていた愛がなくなった(君が去ってしまった)
「そんなことはない(愛がなくなってはいない)」と心が叫んでいるが君はもういない
人はひとりで生きていけない。だからといって再び誰かを愛している自分が悲しい
「相手を傷付けてしまったことに嘘をつき、責められても言い訳を口にはしなかった」。彼女が去ってしまったその責任は己の小ささにある
君と永遠に過ごしたいという夢はもうなくなってしまった
もう 今となっては君が戻ってくることなどないが、過去の思い出がよみがえる
「あのとき 確かに君に会えてよかった」と今でも思っている。あの時に感じた喜びを忘れていない
私の解釈によれば、ハーモニカーが奏でる間奏は、過去への回想シーンをイメージしている。武道館でのライブでは曲の後半、巨大なスクリーンに映し出されたのは一面のひまわり畑だった。
昭和世代は、ひまわりというと思い出す映画があるはずだ。1970年に上映されたイタリア映画「ひまわり」は、時代の激流を乗り越えて互いを求める男女の愛を描き世界中でヒットした。しかも結末はバッドエンド。彼らの純愛が成就することなく終わるこの作品の中にも一面のひまわり畑がスクリーンを覆い尽くす。
小田さんが映画「ひまわり」を意識したかどうかは分からないが、私は「言葉にできない」を「ひまわり」と同じように、一つの愛が途絶えて昇華するまでを描いた唄だと、今でも思っている。
それから20年近い月日が経って、結婚式で「言葉にできない」が唄われる曲の上位に上がっていたことがあると知った。多分、昔に私と異なる解釈だった友人と同じように「辛い別れを乗り越えて新たな恋に巡り会ったハッピーソング」だと思っている人が多いということか。
「切り取り」「まとめ」が顔を利かせるネット社会である以上、唄の中の特定のフレーズを自分の記憶や経験に重ねて自分と向き合うのは、音楽を聴く醍醐味でもあり否定しない。私自身、そのようにして自分の心境に合わせて楽曲を楽しむこともある。実際、曲を生み出したアーティストの多くは「曲は聴く人のもの」と公言していて、楽しみ方は十人十色で問題ないと思う。
でも、自分がフルコーラスで思いを伝えようと考えるなら、全編を通した〝ストーリー〟が大事ではないだろうか。私なら、唄を贈られた相手が「こころ 哀しくて…」「それが 悔しくて…」に反応しないだろうかと気になるな。
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