見出し画像

年齢の話が世の中で一番嫌いだ

はましゃかさんの投稿を読んだ。似たコンプレックスを持つ者として、書かずにはいられなくて、仕事中にnoteばっかり開いてしまっている。

ロリコンを内在化させてしまった女たちへ

若いほうがいい。そうやって自分に呪いをかけてきた
私たちは、みんな年をとるのがこわいのかもしれない。
若さを眺めているときは、自分の年齢を忘れられるから。

なるほど、そうなのか、と思った。

私は、年齢の話をするのが大嫌いだ。そして年齢について私は、同い年の彼女と、逆のコンプレックスに縛られている。「はやく年を重ねなければいけない」という呪いだ。

若さは「足枷」だ。基本的には青くて未熟で、世間様に迷惑をかける身分だ。扶養者に世話になっている身で、自我など出してはいけないと思い込んでいる。年を重ねているほど偉くて、たくさん重ねてはじめて、自己表現が許されるのだ、と。24歳という年齢では、まだまだ許されるものではない、と思っている。誰に何を?よくわからない。

だからずっと、聞かれたら必要以上に年を高く見積もったり、濁したり、上の世代に混ざって知ったかぶりをして、世の中を見てきた。「30代ぐらいの精神年齢だね」なんて言われるようになって、自虐して男友達から「ババア」と呼ばせてみたり、本当はその言葉でボロボロに傷ついているのだけど、そういうキャラだから仕方ないし、女子高出身だからこれぐらい余裕だし、みたいな。どう自意識が歪んだらこうなるんだ。

単純に、多分ずっと、大人になることを求められ続けてきた。「年の割に落ち着いている」なんてしょっちゅう言われて、自分で言うけど、ポジティブすぎて他に攻撃するところがないから、「若い」というそれだけを攻められてこうなった。若いんだから、若いんだから、若いんだから………

そうして、まだ未熟で知らないことがあるんだから、と大人の謎のマウント取りが始まる。話はちゃんと聞いているし、筋道通った指摘をくれるいい大人も勿論いたが、私より回転の鈍い手合いは最悪だ。とくに「心配」とか「不安」とか、感情ベースの真綿で締めつけてくる大人は、もっと最悪。いつのまにか評価軸が「年齢」や「自分の感情」にすり替わっている。このパターンのなんて多いこと。

だからさっさといろんな世界を見て言葉を学んで、もっと認めてくれる大人のところへいこうとしたら、ある時突然、あらぬ方向から「耳年増な女になりそう」とか攻撃されて、めちゃくちゃにちゃんと傷つく。そういう手合いは、実に圧倒的な数的優位を保って攻撃してくる。やっぱり重ねた年の経験が、モノを言う世界なんだと絶望した。

はやく、はやく年を取りたくて、お金で買えるなら年齢を買ってプラスしたかった。何を言ってもコミュニティに馴染めて、攻撃されない、30代40代の人たちが共感しあいながら仲良くしているのが、羨ましかった。私がいまその年齢をもらったら、もっと素晴らしい世界にきっとなるのに。90年代に生まれたことが、憎くて仕方なかった。そうしているうちに、「年齢」という枠が、大嫌いになった。

枠から外れようとする人間には、世の中は厳しい。若者は若くあるのが正しいとする人、年は重ねるほど良しとする人、同じ年齢のもの同士が仲良くするのが好ましいとする人、いろんなフレームが針山のように尖って、そこらじゅうに転がっている。とくに日本、気を抜くとすぐ刺さっちゃうぐらいあぶない。まして私は繊細なので、外れていない人からの小さな気遣いや、悪気のない冗談、その他感じなくてもいい小石のような事柄が、ちくちく刺さって膿んでしまっている。

もしこの投稿を、10年後の私が見たら、痛くてバカな娘だなと思うのだろうか。けれど私は、自分がそうやって年齢のフレームで弾かれてきたから、自身にも他人にも、そのフレームをもう使いたくない。

けれど、その時の私はきっと、まだ年齢を買って足したいと思っている。それほどまでに、「若い」という言葉に対して、植え付けられた「悪」のフレームが、ドロドロに膿んで内在化している。だって、100歳の人がいたら、80歳の私はいつまでも若くて青いのだから。底知れぬ恐怖だ。いくらフレームで考えたくない、と口に出していても、このこびりついた感覚を拭い去るのって、とてつもなく大変なのかもしれない。だからこそ口に出していこう。出せば出す程、コンプレックスという壁がなくなっていくように思う。人のコンプレックスに触発されて、こういう文が書けるようになる。


ちなみに、年を重ねたいと焦るくせに、誕生日のことは好きでも嫌いでもない。自意識なんてこんなもんだ。なんか皆チヤホヤしてくれるから、有難く恩恵にあずかっている。一応Facebookでご報告もする。

一通り済ませた後、「あ、何やってるんだろう私」、自意識の狭間でふと気持ち悪くなる。「年を重ねたんだから私を攻撃するな」という守りの姿勢を、世間に取っているように思えて、くだらない。それでも、こういう時にしか、スッと素直に年齢を言えない自分がいる。

自分の年を言うのが、こんなにも憚られる。攻撃されるかもしれないリスクを、一瞬にして考える。年齢が言えない。植え付けられたフレームと、世間が重きを置く「若さ」という価値の狭間に、勝手に吸い込まれて動けなくなっている。どっちも人様からすりゃあどうだっていいし、知ったこっちゃないんだろう。

だけどやっぱり私は、私のことを一番に守りたいので、とりあえず嫌なもんは嫌だから中指立てるぞコラ、という気持ちです。はましゃかさんの記事とは、縦軸のむきは違うけど、感情バイアスが似ていて、書くパワーをもらうことができました。これからもきっと、年齢の話が大嫌いだと思うけど、私もあなたもみんなも、いつかきちんと俯瞰して見れるようになったらいいね、なんて思います。


20180814

よしなしごとを連ねるだけですが、応援してくれると嬉しいです。仲良くしてください。