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【沖縄市】基地の街コザ・戦後最古の赤線地帯!八重島特飲街「ニューコザ」跡を見に行った

当記事は2011年から「新日本DEEP案内」で公開していた記事を加筆修正の上、その後の取材写真を増量して再公開しているものです。

日本国の本土とは違った「戦後史」を歩んできた沖縄県…かつては米軍の統治を受け、極東アジアの“要石”として軍事施設が多数作られ、沢山の米兵達が街に溢れた…そんな歴史の生々しい残骸が未だに見られるのが現在も「コザ」と呼ばれている本島中部の沖縄市。近年まで真栄原社交街と並んで有名だったちょんの間地帯・コザ吉原があったり、ゲート通り付近の盛り場だとか、色々と生臭い街並みが残っている土地だ。本記事ではそんなコザで最も早くに成立した「特殊飲食街」の残骸の模様をお伝えする。

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昭和20(1945)年、第二次世界大戦終戦後に米軍統治下になった沖縄では各地に米軍が進駐し、特に極東最大の空軍基地である嘉手納飛行場をはじめ軍事拠点が次々作られた関係でコザの街は一気に発展を始める。その一方で危惧されたのが、駐留していた米兵による相次ぐ婦女暴行・強姦などの性犯罪であった。戦後の混乱期の中という事も相まって血気盛んな軍人達を慰労する娯楽の場を建設しなければならない事情は急を要していた。そこで当時の街外れにあった八重島地区に米兵向けの特飲街「ニュー・コザ(New Koza)」が建設された。昭和25(1950)年8月1日のことである。

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