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バカ殿様は理想が高いのだ

未婚シングルの私は、娘には「パパはいい人だったよ」と伝えているが、ホントのことをいうと、かなりのアホだった。


「なーハナちゃん、俺って誰に似とる?」
休日に2人でシュウマイを作っていたら、娘の父親が唐突に聞いてきたことがある。

私は常々、彼は志村けんさんに似ていて、なかなか味のあるよい顔だと思ってはいたが、それが世間一般に誉め言葉なのかどうかはわからなかった。

それで、沢田研二さんに似ていると答えたら、ときどき言われるとまんざらでもなさそうだった。

「志村けんとも言われるけど、小学生のころ、うちのおかんが『誰がそんなひどいことを』と怒ってな」と話し始めたから、おおっと地雷を踏むとこだった。でもやっぱり昔から、みんなが似てると思うんやと。

さて、このけん君。

私と付き合っていたくせに、理想が富士山並に高いとわかったのは、別れ話も佳境になってからだった。

彼はもうとっくに子どもがいてもいい年だったけれど、再入学組だったのでまだ学生だった。男子校出身で、教育熱心なご両親のもと勉強ばかりの青春だったせいか、どこか浮世離れというか、世間ずれしているところがあった。

一見、人当たりはいいのに、実は呆れるほど人見知り。休日でも馴染みのカフェでコーヒーを飲みながら勉強していれば幸せみたいな人だった。世の中には試験前じゃないのに勉強する人がいるんだと驚く一方で、学ぶことが日常に溶け込んでいる姿は羨ましくもあった。

テーブルに向かい合わせに座って、彼は勉強、私は仕事をして、時々、教科書から顔をあげたけん君が「なーハナちゃん、風呂入って体洗うやん。皮膚科の先生がいうにはな、石鹸つけてゴシゴシじゃなくて湯船の中で体撫でるくらいがええんやて。で、1週間試したんよ。垢がすごいねん、特に足のくるぶし周りから消しゴムのカスみたいに出てきてな」と、関西弁でかなりどうでもいい話をしてくれるところが好きだった。

場所代や、と長居をするときはこまめにコーヒーを追加で頼み、その際「なんか甘いのいる?」と必ず尋ねてくれるのも好ましかった。そんな何個も食べないよと笑ったら、「好きなんやから何個でも食べ」と。

けん君は妊娠判明当初は「女の子がいいなぁ。念を送っとこ」とはしゃいでいたが、周囲に反対されているうちに、どんどん元気がなくなった。結婚は順番が大事とつくづく思う。親戚一同の「年上と結婚なんてとんでもない」「おまえは騙されてる」コールを前に、完全にしおれた菜っ葉のようになってしまった。

一度、彼が真顔で「ハナちゃんは俺の金が目当てやったりするん?」なんて聞いてくるから、アホやなぁと。そういうセリフは稼いでから言え。もちろん口には出さなかったけれど。

残念だけど親戚の手前、一回仕切り直して卒業したら結婚しようという彼に「仕切り直すってどういう意味? どうしてお正月にしか会わない親戚のことなんて気にするの?」と泣いた記憶がある。

この頃には彼の語る未来なんてくるわけないと、お互いにわかっていた気がする。私には来年の今ごろは子どもを育てているということは、彼との結婚よりもずっと確実な未来だったけれど、きっとけん君は父になるなんて妄想というか、空想というか。所詮、全てがおままごとなんだろうな、と。

けん君には「ごめん、結婚はできない」と謝る潔さ、自分が悪者になる覚悟が足りていなかったし、私は私で年相応に状況を察して、自ら別れを切り出す冷静さに欠けていた。

ある日、珍しく飲みに出かけたけん君が、「先輩たちからも今、結婚するのは勿体ないって言われた」と帰ってきた。「卒業したら女子アナもスッチーも選び放題やのに、って」

そこに私を傷つけてやろうというような悪意は感じなかった。太陽は東から昇って西に沈むんやってと、小学生が母親に報告するみたいだったから。

「で、自分も女子アナかスッチーと結婚したいと思ったんだ」

情けないやっちゃと呆れることはあったが、この女子アナもスッチーも選び放題発言には、百年の恋も一瞬で醒ます破壊力があった。

「ここまでアホとは思わんかった。このバカ殿め」

側にあったソファのクッションを掴んでバンバン叩いて、もう夜も遅いというのに部屋から追い出した。お育ちの良い彼は、おそらく親にだって叩かれたことはなかっただろう。私だって、きょうだいゲンカ以外で人さまに手を挙げたことなんてないけれど。

この女子アナクッションバンバン事件は、私の未練を完全に断ち切った。以来、両家で話し合いをした日を除いては、一度も会ったことがない。

「やけにならないで。ハナちゃんならいい人と結婚できるから」「もしかして最後の恋とか思ってへん?絶対大丈夫やで」などと電話口でほざくから、それをお前がいうか?余計なお世話じゃ!と携帯は着信拒否し、実家の父あてに電話がかかってきたときは電話線ごと抜いて、父に「お前は偉い」とへんな褒められ方をした。

この時はなぜ父が偉いと言ったのかわからなかったが、後日、双子の弟に「ハナ、電話線抜いたんやって? とーさんが、ハナコは凄いやっちゃ、メソメソ泣くどころか、奴からの電話におとーさんからこう受話器を奪って、『もう話すことはない、後は裁判所で』と、電話線まで抜いたんだぞ、ってジェスチャーつきで興奮してたで」と教えられた。

こんなことで褒められるような家庭で育ったから私は縁遠いんだわ、と言ったら、弟は「そうかもしれんなぁ」と妙に納得していた。
 

別れた当初は、彼が地下鉄を待っているときに背後から押してやる!!と息巻くくらい、モーレツに怒っていたが、娘が生まれたら、世の中にこんなに可愛い生き物がいるのかと。よく彼の住んでいる方角に向かってありがとうと、パンパン柏手を打った。

そんなこんなで、危うく刑務所に行っちゃうことをしでかす危険もあったのに、ほどなく「けん君、エベレスト級のアホやったなぁ」と、笑えるようになった。


騒ぎの渦中は、まさか数年後に自分が楽しかったことしか思い出さないとは想像もしなかった。脳は過ぎ去ったことは美化する能力をもっている。少なくとも自分にはそういうオメデタイ傾向があると気づいたとき、この先なにがあっても生きていけるぞ!ビバ!という感じだった。


けん君は無事に女子アナと結婚できただろうか。


せめて先輩に合コンくらいは連れて行ってもらえてるといいなと考えて、毎回、ふふふと笑ってしまうのである。




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