迷惑は、かけたっていい
あなたは今、誰かに迷惑をかけて生きていたりはしませんか?
例えば、親からお金を借りていたり、
例えば、誰かに自分のことまでやってもらっていたり、
例えば、言った通りのことができていなかったり。
でも、きっと本当は
迷惑かけるつもりではなかったですよね。
だけど、仕方がなかったんですよね?
「そんなつもりじゃなかった…。」
だったらしなければよかったのに、あなたはどうして迷惑をかけてしまったのでしょうか?
それは、「しないといけなかったから」ではないのでしょうか?
と思えば、迷惑って、中途半端にかけないで、
逆に、思い切ってちゃんとみんなを巻き込んで
しっかりとかけたほうが良くないですか?
迷惑って実は、「自分一人でやろうとした」ことの結果で
かかってしまっているってことを知っていましたか?
今回はまたちょっと、目が覚めるような話題をコラムにして
お届けしてみたいと思います。
迷惑をかけたあなたが思っていることとは
私達は誰だって、迷惑をかけたくてかけているわけではありません。
「自分でやれるだけやったけど、どうしようもなかった」ってことで
致し方なくかけているものだったりしますよね。
その結果、そんな私達って、
「迷惑をかけている分、何かでお返ししたい」という気持ちが
大なり小なり、どこかに湧いていたりしませんか?
実は、誰かに迷惑をかけるってことは、
「相手のことや立場を考えて、自分の気持ちや想いを確かめるために必要な行為」だったのです。
だから、迷惑って
相手にかかっていようがかかってなかろうが、
その程度がどれだけであろうが、「私は迷惑をかけている」って、
こちらが勝手にそう認識しているだけではないのかと思いませんか?
なので、本当は
相手には迷惑になっていないことの方が多いのです。
大体、本当に迷惑となっているのなら、
最初から相手はあなたに手を差し伸べていないと思います。
迷惑をかけていても相手はそう思っていなかったり、迷惑をかけていなくても相手が迷惑と感じていることもある
そう、どちらかというと
迷惑って、その実態よりも、単なる「思い込み」の中にある想像なんです。
ですし、どれだけ迷惑をかけまいと思って努力し尽くしていても、
何かしらの影響が相手に発生していたら、
迷惑はどうしてもかかるものなんです。
それを事前に気にしたことによって、
結局何もできていなかったってことはないですか?
実際のところ、それが原因で一歩を
踏み出せなくなっていることの方が多くないですか?
迷惑をかけないで生きることや進むことは、
「たった一人で生きていること」と全く一緒です。
相手の存在を認めていないことと同じなのです。
「申し訳ないから」
「負担をかけてしまうから」
「貴重な時間を奪ってしまうから」
と思って、行為や行動をやめる。
これだと、何も生まれることはありませんよね。
迷惑って失敗ではなく、迷惑は、
「勉強となる貴重な体験」です。
"何もしない=迷惑をかけない″
その方が、失敗だと思うのです。
これ、コーチングの世界ではよく飛び交うことなんですが、
失敗とは、「何もしないこと」なんですね。
なのであえて、迷惑はかけてしまっておいて、そしてそこから…
なので、迷惑は、できるだけかけてあげてください。
できるだけハッキリと。
どのようにハッキリと迷惑をかければいいのかというと、
「このようにしたいから、協力してほしい」と
具体的に告げるのです。
相手から言われたことに寄り添ってくれる人って、
伝えてくれたことの内容が、ハッキリと分かったからこそ
携わってくれるんですね。
だから、「なぜだか迷惑がかかっていたことになった」というふうに、
知らず知らずのうちに迷惑がかかっていたことの方が
本当の迷惑となるわけです。
それに、あなたがやってきたことで相手に迷惑をかけているから
やらなかったりやめて来た時、それって、ちゃんと
「迷惑がかかっているかどうかを相手に確認」してから行動をやめましたか?
これも、「ハッキリさせていれば迷惑にはならなかった」
ってことに至っていたかもしれませんよね。
だから、迷惑はかけたほうがいいんです。
そして、迷惑をちゃんとかけて、
その申し訳なさを抱きしめて大切にして、
次はあなたがそのお相手のために恩返しをして行けば、
それはとても大切だった経験として、ずっと残るのです。
迷惑をかけながらも同時に、自分の強みを使って人を助けていけば、
±ゼロとなるから、気にせずに進めばいいんです。
迷惑は、自分にとっても相手にとっても
貴重な財産となることの方が多いので、
迷惑という概念が、仏様によって
学びを与えてくださっているものとなっているのです。
迷惑は、かけるべきこと。
ただし、迷惑をどのようにかけるのかを
計画してからかけてくださいね。