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D.Oの音楽活動のストーリー∞〜D.O and Brotherhood〜


今回でラストですが、色々なドラマ?の中を潜り抜け進んで来た僕の、

現在の音楽での動きを報告しておきたいと思います。

今回も前回に引き続き、

自身の生い立ちを紹介するような記事を連載させていただきます。

(3年前に書いた、自身のブログからの転載・リライト記事となります)


ブルータルメモリーズを終えて、再び1人になった


2016年、ブルータルメモリーズが終わり、

僕はまた1人になりました。

けど、以前のような孤独の独りではなく

たくさんの仲間に囲まれながら1つのストーリーを終えたので、

あれだけ続けたかったブルータルメモリーズではあったけど

スッキリとした終了を迎えられ、

終わった寂しさがすごく好きでした。

それと、ブルータルメモリーズの終了を決めた時、

同時に僕は決めていました。

「これからは、1人になろう」と。

あの時たくさんSeizyに助けてもらって

こんなにも自分を取り戻すことができた自分は、

「もう人に依存しないでやっていける自分となろう

それが、彼への恩返しだ。」と。

今までは必ず、バンドの形をとって

集合体として音楽活動をして来たものですが、

(いわゆる共有名義や団体名義で)

それは、組織としてやチームとしてのカッコよさで、

これこそが活動をするということの本来の形だと思っていて、

固定観念に縛られていたからでした。

が、一度無になった時の体験や

ブルータルメモリーズでの活動を経たことで、

形がフリーダムの方が

みんなのやりたい気持ちだけの

ただそのシンプルで理由なんてない思いだけで集うことができ

個々の個性の尊重(一人一人をパーソナリティだと認識し、オリジナリティやアイデンティティを生かしたい意)

だと考えるようになったからなんです。

(言ってること、ムズカシいかな。。)

もう、1人でいいんです。

上手く行くか行かないかなんて、

そこに成功などの目的はもう要らない。

ただ、やり続けて行くことや

音楽家として存在し続けて行くことだけが大切だと。

中学生の時になぜミュージシャンになろうとしてたのかって、

本当は、自分が有名になれば

テレビやラジオに出て活躍をして行けば、

会えなくなっていった友達や仲間や

お世話になった恩人や地元の方々に、

メディアを通して、僕と会える幸せを

届けていけると思っていたからなんです。

「僕はみんなと会えないけど、みんなは僕に通信で会える。」

こんなことを強く想っていました。

そんな僕が今、歳を取って

人生が半分過ぎてたどり着いたこの場所で

様式や価値観が変わって行ったとしても、

音楽をやる理由はあの頃と変わっていないんです。

今でもみんなと逢い続けたいから。

オンラインやリモートやメディアを使ってでも。

「アイツは元気をくれてるなあ」と言ってもらえれば、

ミッションはクリアなんです。


このミッションは、死ぬまで続きます。


1人の文化人として地元で知名となったD.Oが、1人でやっていく音楽活動「D.O and Brotherhood」


それからの僕は、音楽活動の名義を「D.O」として動いています。

なのに、1人だけでステージに立ったことはありません。

D.Oは1人でのソロ活動なんだけど、

その地元に根付いた僕が最愛する

「兄弟」と呼びたい仲間達をゲストに招いて、

コラボする形で演っています。

D.O and Brotherhood ブラザーの結婚パーティー時
D.O and Brotherhood 洋風居酒屋ロコロコ7周年記念パーティー
D.O and Brotherhood 山陰の○○が、お好きでしょ。
D.O and Brotherhood 鳥取砂丘コナン空港 空の駅フェスタ
HILE and D.O 鳥取砂丘コナン空港 空の駅フェスタ



まあ結局は、僕のバックで一緒に

演奏をしてくれるメンバーとして集まってもらってるんですが、

固定のメンバーではないという形にしています。

都合上、ずっと継続してもらってるメンバーもいるのですが、

あくまでも、名義を同一にしていません。

こうやって、メンバーを縛らないようにしています。

なので、「D.O and Brotherhood」という名前でステージに上がりますが、

D.Oとその兄弟ということで、みんな自由に触れ合っています。

(飛び込み自由みたいな感じ)

どんなコンセプトで活動をしているのか


やっぱり僕は、音楽は、

地元の文化人としてやっていこうと。

よって、鳥取弁で鳥取のイジられるところや、

鳥取のイジられるところを詩にして(笑)、

オリジナル曲を作って唄ったりしてます。

ブルータルメモリーズでは

音楽を演奏して地域を楽しくできたらと考え、

ラフでフリーなスタイルを意識した

アコースティック形式でカフェバー空間で

憩いや娯楽を提供していたわけなんですが、

D.Oでは、さらにその形式を継続しながら、

活動を演奏だけにとどめずに、舞台進行チームとしてなどで、

司会、舞台監督、技術の構成で

ステージに上がったり回したりまでやったりしています。


D.Oは、D.O and Brotherhoodは

音楽を軸にして、演奏だけじゃなく、

舞台から盛り上げたり

地元を楽しくしたりできるなら、

形はなんでもいいのです。

D.O and Brotherhood イオンモール鳥取北 周年イベント 舞台進行チームで


逆に、音楽の人間が、

変わったことや違ったこともしていた方が、

全体的な暮らしは楽しいでしょうしね。

音楽が好きな人って、国民全体の30%程度で、

70%の人にも「アイツら知ってる。オモロイ。」

って言ってもらえることをコンセプトにしている方が、

これからはみんな幸せだと。きっと。

そんなコンセプトで活動しています。


これからのD.Oは何を目指しているのか


この鳥取・山陰で

音楽家として歌を唄っている人間、

ミュージシャンであるということを軸に、

これからは

パーソナリティー、コメンテーター、

そしてご当地キャラクターとして、

ローカルのタレントっぽく根付いて行けたらと思っています。

(そんな大層な者でも無いが、地味に周りからそう薦められるもので)

まちづくり観光イベント 出演時 コメンテーターとして


僕のオリジナル曲の中に「プチャヘンザとっとり」っていう名曲があるんですが(笑)、

鳥取が全国の中でなんでも弱小に捉えられてしまうことをネタにした名曲なんですが(笑)、

これ、とっとりを持ち上げるための応援歌でして、

なにか鳥取のCMやTV番組のタイアップ曲として

使ってもらおうと勝手に思い込み、作曲した名曲です(笑)。

こんな感じで、鳥取の歌を唄うという

地元ミュージシャンによくありそうなベターなスタイルで

地元で愛されていけたらそれが一番地元暮らしにピッタリな活躍の仕方だと、

長いミュージシャンキャリアと共に

エクストリーム(究極・極端)な世界を渡り歩いてきた僕には

ピンと来るものなんです。

という感じで、音楽は自由でそして、

みんなを元気にできるエレメントです。

考え方一つでどうにでもできて、

その考え方を表して伝えていく世界が

音楽というカルチャーです。

それと、僕を知らない人は50000といます。

そんなことはどうでもいいんですが、

僕はもう40歳(2023年2月時点)。

色々振り返れば、自分は短命だと思っているから

長くてあと20年くらいの人生。

まあまぐれで長く生きても倍の40年。

人は死ぬまでに20000の人と出会うと言われていますが、

じゃあ既に出会って仲良くなって

喧嘩して別れて思い出となったり、

中々会えなくても繋がっていたいと思う

今までの10000の人と、

そして、これから運命として知り合うことになっていて

残る人生の1ページを少しでも笑顔で共にするであろう

これから出会う10000の人のために、

そしてそして、応援してくれているその他の人を裏切りたくないため、

そのみんなのために僕は、

ただただ、音楽をするんです。

していくんです、続けていくんです。


ちなみにどんなサウンドを演奏しているかというと、

I Don’t Like Mondays.
Suchmos
Jamiroquai
大橋トリオ
THE CHAINSMOKERS
Justin Bieber
Thundercat
韻シスト
和田アキ子
木梨憲武など、

ファンキーでデジタルなサウンドに

ちょっとムーディーなR&Bを混ぜたような感じです。

ビジネスは電波で高速に回ってる現代ですが、

カルチャーはスロウなライフでいいじゃない。


そんな感じをビジネスライクに活動する将来も

在っていいかもしれないですね。

ということで、ぼちぼち、末永く、

肉体を使い切って骨しか残さないように、

これからもD.Oをやっていきます。


このシリーズの連載を最後まで読んでくださった方、

お付き合いいただき、本当にありがとうございました。



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