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D.Oの音楽活動のストーリー①〜少年の頃〜

また再び、自分自身の生い立ちを紹介するような記事を連載していきたいと思います。

(3年前に書いた、自身のブログからの転載・リライト記事となります)

以前では、僕が聴いてきた音楽の遍歴をご紹介してきましたが、

今回は、「僕がやってきた音楽活動のストーリー」をご紹介いたします。

他人のことで退屈かとは思いますが、楽しくご紹介してみたいと思いますので、

よかったら少し、お付き合いください。


ギターを始めた12歳〜初めてバンドを組んだ15歳


僕が音楽を始めたのは、中学1年の時でした。

父親が「FENDER」というブランドの「STRATOCASTER」というギターを隠し持っていて、

それを弾いている姿をコッソリ目撃したことがきっかけでした。

その頃は楽器ってのは、ピアノやリコーダーなどの

学校で見るような楽器しか知らなかったんですが、

ちょうどX JAPANの存在を知った時期でもあり、

HIDEが弾いていた楽器ということもあって、

その頃初めて、ギターの存在を知ったのです。

そんな、憧れのギターと言われる楽器を父親が持っていたことにビックリし、

思わずそれを「隠さずに俺にも貸してくれ」みたいなことを言って

貸してもらうことになったのです。

それからの僕は、ギターを弾くことが新鮮で、

HIDEになれた気がして、毎日握っては、

弾けもしないのにがむしゃらに弾いていました。

けど何を弾いていいのかも分からないのと

知っている曲を弾いてみたいのとで、

持ち主の父親へ「Xの曲の弾き方を教えてくれ」とお願いしましたが、

なぜか教えてくれなかったのです。

(弾けるわけがないから教えてくれるわけがない

ってことに、大人になった時に気づくというオチです笑)

そこで、当時、新聞の広告欄に載っていた

今で言うU-canみたいなやつに「ギター講座」たるものがあったので、

母親にお願いして、それを習わせてもらうことにしました。

「その講座でX JAPANの曲の弾き方を教えてくれるってことなんだろうな!」

と強烈に勘違いをし笑、

ワクワクしながら、講座の申し込みハガキに名前と住所を書き込んで投函しました。

そしていよいよ、専用のバッグに入った教材一式が届きました。

届いた瞬間、それはもう嬉しすぎて嬉しすぎて、その後しばらくは、

学校から帰っては毎日、そのギター講座をコツコツとやっていました。

けど、その講座のテキストのどこを見ても

Xの曲は載っていないのです。

そのバッグの中にビデオが入っていたので

「それにHIDEが先生で出ているのだな!」と勝手に察して再生をしてみたら、

そこにHIDEの姿は無く、代わりに

七三分けでお利口さんが着るような服装のヘンなおじさんが映っていて笑、

結局、その人が僕のギターの先生だということが分かりました笑。

(そのヘンなおじさんは、あの伝説的なフュージョンバンド

CASIOPEAのギタリスト、野呂一生だということを

大人になってから知ることになるのでした)

まあとにかく、初心者には初っ端から

むちゃ難しかったことを今でも覚えています。

だって、JAZZのコードやスケールを練習させられていたのですから。。

お陰様で、中学の3年間はそのギター講座で上達した腕前を活かして

X JAPANが弾けるようにまでなりましたが、

それでもまだまだ、憧れている「バンド」を組むことまではできずにいて、

一人でLUNA SEAやL’Arc-en-Cielの曲をコピーしては

彼等のアルバム作品に収録されている全ての曲を完コピするなどして

ソロ活動をしていました(これって活動なのか)。

そして15歳となった僕は、高校へ行かずに働き始めたため、

ますますメンバーを見つける旅に出ることもできず、

「どうしたらいいのかな?」って思ってた時、

中学の頃に共にバンドをやろうとしてくれていたヴォーカリストが

ドラマーを見つけて来てくれて、

僕がギターやベースを演ってくれる友達を連れてきて、

ようやく初めてのバンドを結成することができたのです。

もちろん、LUNA SEAのコピーバンドでした。

(その後28歳の時に再会したことを機に、

このバンドはREBOOTという名前で再結成することになる)


都会に出る前の18歳までにやっていたバンド活動


まあそうはいってもバンドを始めた頃ってのは、

バンドを組めたことがきっかけで

他のバンドマン達との出会いや交流が劇的に増えるものでして、

やはり、たくさんのバンドをかけ持っては活動をすることが通常なことでした。

当時はとにかく、V系のバンドとメロコア系のバンドがブームで、

どいつもこいつもLUNA SEAかHI-STANDARDのコピバンばかりで、

LIVEで演る曲がカブっては、お客さんは同じライブで

「ROSIER」や「NEW LIFE」を少なくとも3回以上は聴かされては、

都度頭振ってるかモッシュしてるか、そんな時代でした。

その中に稀に、XやB’zやMETALLICAやMR.BIGを演っている同年代のバンドがいて、

そいつらと対バンになるときは、全てを持っていかれた気持ちとなってしまい、

寂しい背中でギター背負って帰宅するっていう日曜の夕方もありましたね。

けど、それだけバンドっていうカルチャーは、

僕等を育ててくれた「自分たちで立ち上げてやっていた部活」だったんです。

SIAM SHADEのバンドをやっていた頃


その時からでしたが、

「バンドででっけえとこ目指したい!」

ってのは間違いなかったことから、

僕も、XやB’z、SIAM SHADEやSEX MACHINEGUNSなどの

凄いどころのバンドの曲をカヴァーしてはプレイして行きていました。

DREAM THEATERのバンドをやっていた頃


そんな自分だったことから、さらに凄いモノを追い求めては

「本当のヘヴィメタルをできるようになりたい」と思うようになっていき、

結果的に、「いつかはSLAYERやPANTERAや

DREAM THEATERをバンドでできるようになりたい!」と、

野望をメラメラと抱くようになっていくのです。


次回へと続きます




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