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【前編】こうやってD.Oは作られていった -D.Oが歩んで来た音楽の遍歴-
前回まで、僕がライフチェンジングコーチとなるきっかけとなった
「音楽家として人生を歩んで来た自分のこと」について色々な記事を書いて来ましたが、
今回からももう少し、その辺りを振り返り
備忘録的に書き残しておこうかなと思います。
今までの記事をご覧いただいた方はもうお分かりだとは思いますが、
僕は世の中の一般な生態寄りではない属人性
だということがうかがえたのではないかと思いますので、
せっかくなので、どんな音楽を吸収しながらここまで変貌を遂げてきたのかも
ご紹介してみたいと思います。
D.Oの音楽家人生はここから始まった -4歳~18歳-
僕が物心ついた幼少期の頃、TVで安全地帯を観た時にビックリしたことを覚えていて、
それが人生で初めて音楽を意識した瞬間でした。
「これは人なのか?」と思ったくらいに、
玉置浩二の化粧や髪形がカッコよかったのです。
そこから、僕の音楽人生は始まっていたのでしょう。
そして、小学4年生の時、人生で初めてCDを買いました。
それは、CHAGE&ASKAのCDシングルでした。
対照的な2人が甘くて優しいサウンドを奏で、
その華麗なヴォーカルと綺麗なハーモニーに魅了された僕がいました。
そんな平穏な小学生時代を、とんねるずやダウンタウンの番組と共に過ごしたD.O少年は、
思春期の始まる中学1年生で、あのX(X JAPAN)の存在を知りました。
友達がシングルの「紅」を持ってきて、僕の目の前に差し出し、
そのジャケット裏面の写真にビックリ!!
「この人たちは人間なのか?髪の毛が重力に逆らって立つことってありえるのか?」
って感じで、もの凄い衝撃を受けたのです。
「でも確かに立っている。そして髪の色が人間の色じゃない。全員。」
「…これはやっぱ人ではない。」
「もし本当に人だったとしたら、これは悪魔や鬼のような悪い者だ…
…かっこいい!!」
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それからというもの、まるで狂ったかのようにX JAPANについて
調べに調べていきました。
歌詞の内容までショッキングで、自分なりに解釈しては
その世界観にどっぷりとハマって行きました。
調べていく道中、Xの載っている音楽雑誌が本屋にありました。
それはジャンプやマガジンの置いてあるコーナーには無く、
今まで入ったことのないコーナーにありました。
そう、音楽雑誌のコーナーです。
その雑誌を立ち読みすると、なんと、
X以外にも同じようなヤバい人達がたくさん載っていたんです。
「なんだこれは!…X以外にもたくさん存在していたのか…!!」
もう、ショックすぎて、D.O少年は
自分がなんなのか分からなくなり(笑)、
それからどんどんヘビメタ、ヴィジュアルのバンドにハマって行ったのです。
LUNA SEA、黒夢、GLAY、L’Arc-en-Cielはもちろん、
BUCK-TICK、D’ERLANGER、DEAD END、AION、
Gargoyle、DIE IN CRIES、ZI:KILL、Gille de Rais、
Valentine D.C.を掘りましたね。
(THE YELLOW MONKEYやJUDY AND MARYもインディーズ時代はV系でした)
こんなことになったので、学校の勉強をしないで、
V系の勉強ばかりしてました。
お年玉でギターを買って、
クリスマスプレゼントではバンドスコアをリクエストし、
毎月のお小遣いで、それらのCDを買う生活。
学生カバンに教科書は入れないで、
「FOOL’S MATE」や「SHOXX」や「ロッキンF」を入れて学校に行ってました。
![](https://assets.st-note.com/img/1674806535600-LgcExbRnRZ.png)
そして高校に進学をしなかった大バカ者。
ただし、志だけはブレなかったんです。
それからの僕は、電気工事会社でむちゃシバかれながら
毎日夜遅くまで働くという壮絶な日々を過ごすことになるのですが、
それを支えてくれたのが、
夢というやつでした。
で、その夢を見させてくれたのが、
La’cryma Christi、MALICE MIZER、ROUAGE、Laputa、
Eins:Vier、Sleep My Dear、SHAZNA、PIERROTなどの
第2世代のようなバンド達でした。
(Silver-Rose、Media Youth、D≒SIRE、Vogue、BAISER、覇叉羅、La:Sadie's、
Plastic Tree、Kneuklid Romance、SPEED-iD、MASCHERA、
YOUTHQUAKEもインディーズシーンを盛り上げてくれていましたね)
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だけど、その頃に自分が組んでいたバンドでプレイしていたのは、
CRAZEやSADSやSIAM SHADEやSEX MACHINEGUNSや
B’zでした(笑)
今から振り返れば、20代のオラオラな頃に移行すると
今までV系にハマっていた自分に
凄くコンプレックスを抱くようになったことで
「なにがV系だ!」とツッパっていましたが、
30代からノスタルジーが始まって来てからは
このVISUAL ROCKが好きだった頃を
むちゃ振り返るようになりましたね。
なので、今でも聴き返したりしますし、
それが「これからも頑張って行こう」
という気持ちを与えてくれたりするのです。
そう、その瞬間だけは若返ることができるからです(笑)
人間以上の存在になろうとしていたメタル時代 -18歳〜25歳-
いよいよ18歳の時、ヘビメタが外国にも存在していることを知りまして、
「ヘビメタって、元は外国から始まったものだったんだ…」
ってことを知ることになりました。
そしてもちろんの如く、ヘビメタ(ヘヴィメタル)をどんどん調べて行きました。
狂ったかのように(笑)
そんな中、とある音楽雑誌と出会い
それにヘヴィメタルを分かりやすく解説してくれているページがあったんですが、
その内容を読んでいくと、ヘヴィメタルにも細分化された
色々なジャンルがあることが掲載されていたんです。
その最後の方に、
「デスメタル」というのがありました。
デス って、「死」?
死んでるの?
けど紹介されている写真には生きている人が載っている。
これはヤバい!と感じたD.Oは、
とうとうデスメタルに手を出したのです。
それから、D.Oのデスメタル人生が始まりました。
その頃は、IRON MAIDEN、HELLOWEEN、
GUNS ‘N ROSES、MOTLEY CRUE、METALLICA、
PANTERAやSEPULTURAを聴いていて、
METALLICAやPANTERAや SEPULTURAなんかは激しくて
聴くのもちょっと大変な感じだったんですが、
んなくせに、「デスメタル」という、
「それ以上は無いんだよ!」ってことが伝わってくるような究極な単語に
持ち前の好奇心旺盛なヤバい性格が災いし、
手を出してしまったんです(笑)
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初めて聴いたデスメタルは、VADERとMORBID ANGELだったんですが、
「終わっている」「確かに何もかもが死んでいる」と感じました。
激しいの限界を超えた楽曲。
メロディーという概念の無いサウンド。
宗教的に人間を背徳とし、戒めで殺戮をする神と悪魔の登場する歌詞。
(なぜかエジプト神話をモチーフとするモノが多い)
そしてヴォーカルの声が死んでいる。
これを「人間ではない(またしても)」と判断し、
また調べ始めて行ったのです(笑)
狂ったかのように(笑)
それからというもの、誰に愛されるものなのかが分からないこのデスメタルという音楽が、
「とてつもなく深い」ということを知りました。
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メロディーの綺麗な、涙を誘うデスメタル。
(メロディーが無いのがデスメタルなのに、盛り込んであるメロディーが世の中のPOPSより綺麗すぎる)
ホラー映画のサントラが馬鹿みたいに激しくなったようなデスメタル。
何やってんだかさっぱり分からないくらい早すぎて強烈なデスメタル。
聴いていてまったくリズムが取れないのに曲としてちゃんと成り立っているデスメタル。
本当に人を殺してしまっているデスメタル。
とにかく、僕は、
普通ではないものや、人間ではないものに
憧れて行ってしまった人生だったのです。
CANNIBAL CORPSE、DEICIDE、DYING FETUS、CRYPTOPSY、
IN FLAMES、THE HAUNTED、DARK TRANQUILLITY、TRIVIUM、
EMPEROR、CRADLE OF FILTH、DIMMU BORGIR、DARK FUNERAL、
MESHUGGAH、FEAR FACTORY、HATEBREED、EXTREME NOISE TERROR。
僕はなぜこのようになって行ったのか、それもこうやって
コーチングを受けて自分を見つけられるようになったことや、
ライフチェンジングコーチとなって活躍するようになったことで、
やっと分かるようになってきたのでした(笑)
ですがそんな行き過ぎたその頃の僕にも
思わぬ転機が訪れることになり、
その後、180°、
人生の方向性が変わっていくのです。
それが、EXILEとの出会いでした。
後編へと続きます
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