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D.Oの音楽活動のストーリー②〜ADVISORY〜


こうやって昔のことを書き留めて行くと、

この頃のネタを今の自分に活かせないかと

どこか考えてしまいますね。

今回も前回に引き続き、

自身の生い立ちを紹介するような記事を連載したいと思います。

(3年前に書いた、自身のブログからの転載・リライト記事となります)


いよいよ都会へ進出し、夢を叶えるための単身生活をスタート


15歳の頃から音楽でプロを目指したいという夢があったため、

18歳より鳥取を飛び出して、福岡県(なぜか)へ引っ越しまして、

初めての一人暮らしを始めました。

最初の1年間は、バンドなんて全く組めないほどに、友達さえいませんでした。

幸い、鳥取の頃から一緒にバンドをやっていた

気の合う友達が大学進学のために

隣の山口県下関市に住んでいたので、

「それなら一緒にバンドをやろう!!」

と約束していた彼が、唯一の友達でした。

僕の初めての一人暮らしは、学業のための上京のような感じではなく

自分で勝手に思い立って決めて動いた行動だったので、

50万円貯めた貯金通帳と衣服と貴重品だけをカバンに入れて、

頼れる親戚がいた福岡へ行きました。

ひとまずその親戚の家に仮住まいさせてもらいながら

ワンルームマンションを探しては、無事に借りて住み始め、

そこからは全て100円ショップで生活に必要なモノを買って

一人暮らしをスタートするという、ほぼほぼ勢いだけで

福岡での一人暮らしを始めた感じでした。

まあ、冒険だったからそんなものだよなと今では振り返れますが、

父母は、その頃の僕の福岡での一人暮らしの様子を

一度も見に来たことはありませんでした。

それくらい、自分でやっていってやる気持ちマンマンで家を飛び出していたのです。

だからか、なのにか、それでか、やっぱり、そんな簡単にすべてがスムーズにいくわけがない。

というわけで、最初の1年間は新しい友達ゼロ。

18歳という多感な青春時代は、実はとても苦しかったのです。

そんな思い出が、かなりハッキリと鮮明に残っています。

バンドで夢見て都会に出るということって、

現実しかない寂しい毎日だったりするということを、

今改めて伝えておきたいですね。

プロになりたくて、片田舎から飛び出すように都会に出たミュージシャン達は、

みんな想像を絶する孤独な体験と

健康と安定度返しな生活を土台に

がむしゃらに音楽やってきているものだと、

僕が代弁しておきます。

そんな僕でしたが、一人暮らしを始めて一年経つか経たないかの頃、

その山口県の大学に通いながら音楽を共に歩んでくれた友と

「このまま音楽がなにも進展しなかったら、俺等はなんの目標をもってここまで来たの?」と話し合い、

「どうしてもバンドがしたいから、とにかく一緒にやってくれるメンバーを探そう。」

「もしくは、2人でどこかのバンドに入ろう。」

と話し合い、大手楽器屋さんのメンバー募集コーナーの貼紙を片っ端から控えて、

2人で手分けして連絡をしていくことにしました。

「こんなに募集が出ているのに案外決まらなくていい話にならないものだな…」と、

肩を落としながらも諦めずにアタックを繰り返していたら、

一人だけ、会ってみたいと言ってくれる人が現れました。

その人は、DREAM THEATERが好きだったようで、

そんな感じなプログレッシヴ系のテクった音楽をバンドでしたいって望む、

キーボーディストさんでした。

「…本当はデスメタルバンドがやりたくてこっちに出てきたのに、まいっか。」

ってグッと気持ちを押し殺しながら、

僕等はその人と触れ合いを始めたのでした。

結局、その人とバンドは組まなかったのですが、

その後、たくさんのバンド仲間を紹介してもらうことに発展し、

その人との出会いがきっかけでこのあと急激な展開を見せるのです。

仲間達のライヴステージを観に行ったり、

色々な所へ連れてってもらったり、

時々手伝いでバンドに参加してステージに立ったり、

小さなことでしたがトントン拍子で展開して行きました。

その仲間達の中にひとり、とてもギターが上手で爽やかな好青年がいて、

その人と特に仲良くなっていたので、思い切って

「デスメタルバンドやりませんか?」と声をかけてみたところ、

爽やかにOKをしてくれました。

こんな極悪なイメージが付きまとうものにまで爽やかに応じてくれたこの好青年と一緒に、

デスメタルバンドを結成することになりました。

その後、鳥取から一緒だった友達がベースをやってくれながら、

今度は先程の楽器屋さんのメンバー募集コーナーから

ヴォーカリストを見つけて来てくれて、

そして、メンバーみんなでネットなどからドラマーを見つけて来て、

とうとう念願のデスメタルバンドをスタートさせることになったのです。

ADVISORY 結成前の頃
福岡に来て1年経った頃 当時の仕事で現場より
実家にて、バンドメンバーと僕の父親との3ショット



都会(福岡)に出てから活動したデスメタルバンド「ADVISORY」


この、やっと結成することができたデスメタルバンドは、

「ADVISORY」というバンド名になりました。

由来は、当時CDやその他の作品に収録されている内容が

倫理的にヤバいモノの右下に表示されていた、

から引用しました。

単純でしたが、「俺等はヤバいバンドだよ」

って見せたかったことが目的で思いついて、

僕が名付けたんです。

このバンド、今までにデスメタルをやったことがないけど

デスメタルをやってみたいって奴等が集まって結成されたため、

最初は単なるそこらへんにいるメタラーみたいな格好とサウンドで、

デスのデの字も無い感じの仕込み方をしていたのですが、

「…なんかちゃうなあ。。」と感じていたので、

僕が提案し「本物のデスメタルバンドのカヴァーもやっていこう!!」

「そして、ブラックメタルバンド(サタニックメタルバンド)みたいに、

コープスペイント(死者が生き返った時の姿を現したメイク)もやろう!!」

ということにして、「デス」ってなんぞや?という本質を

しっかりと取り込んでいくように仕込み直して行ったのです。

すると、まだまだあまりデスが詳しくなかったメンバー達も、

デスの素敵さ(なんかヘンな言葉ですね笑)を感じて、

どんどんっそれっぽくなっていったのでした。

ADVISORY AFTERHOURS 7th Anniversary


かといっても、このバンドでプレイしていたデスメタルバンドのカヴァーは、

IN FLAMES、CHILDREN OF BODOM、PANTERA、

KILLSWITCH ENGAGE、GUSTANK、THIN LIZZY、

IRON MAIDENなどで、

結局は、入門編のようなデスメタルバンドや

全然方向性が違うようなバンドのカヴァーもしたりしてたため、

やっぱりポピュラーデスなバンドでした。


3年間の短い活動だったけど、足跡を強く付けることができたバンド


ですがこのバンド、逆にそれがウケたのか、

地元のライブハウスにどんどん根付い行っては、

アンダーグラウンドシーンにおいて絶大な人気を誇るまでにっ!!

…と言いたいところなんですが、結局演ってたことが、

顔を塗ってキャンキャンと吠えては(正しくはヴォーッ!と吠えていた)

地域の夏祭りや、アマチュアバンドコンテストや、

フツーのROCKやPOPSのバンド達が開催する

ホールイベントなどを中心にライブ演っていました。

ADVISORY 鳥取駅前青い鳥コンサート2003
ADVISORY D.O


その中には、鳥取の夏を飾る大イベントの

「青い鳥コンサート」へ凱旋ライブでツアーと称して出演してみたり、

このペイントやパフォーマンスがよかったのか笑、

74組中8組しか通らなかったコンテストに決勝まで行き、

1000人の目の前でステージを演ったこともありまして、

そのコンテストのゲストで、当時上海ハニーで大ブレイクしていたあの

「ORANGE RANGE」がゲストで出演していましたが、

僕等のこのアホなキャラとデスな格好にビックリされたりもありました。

このコンテストは、ラジオ局のFM山口が主催していて、

地元のアマチュアバンドを応援する音楽情報番組の企画だったので、

コンテスト出場前にそのラジオ番組へ出演もさせてもらいました。

その時の様子が聴けますので下部をクリックしてみてください↓


そしてそんなことをきっかけで、

山口県のライブハウスのプロモーターさんにスカウトされて、

そのライブハウスにて強烈なバンド達と一緒にライブさせてもらったりと、

自信満々で演ってた僕等のワリにはかなり凄い人達に、

恐れながら絡ませられたりもありました。

ADVISORY 周南TIKI-TA


たった3年間の活動だったのですが、

知名度の上がりが早い展開に必死で追いついて行きながら、

福岡でのデスメタルバンドをガッツリと炸裂させていただきました。

ADVISORY AFTERHOURS 2days-1
ADVISORY AFTERHOURS 2days-2
ADVISORY AFTERHOURS 2days-1


そんな思い出の深いこのバンドは、当時のメンバー達と今でも交流が続いています。

(現在、オンライン上のみの活動とし、再結成をしています)

今は遠く離れて暮らしているから、

会ったりできるのも3年ごとだったりしてますが、

こんな感じで、ずっと仲良く触れ合っています。

それだけ、デスメタルを身にまとって

貴重な時代を過ごしていたことを、

メンバーみんなが今でも大切に、

宝物にしているのでしょうね。

福岡を旅立つ時が近い頃 Vo.のDEATHCROWとD.O



次回へと続きます


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