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感想文:ゲルハルト・リヒター展、記憶と航空写真のアブストラクト

先日、東京国立近代美術館で開催されている、ゲルハルト・リヒター展を観に行きました。(2022年6月7日から10月2日まで)

会期後半のため混み具合を心配していましたが、適度な混み具合で、ゆっくりたっぷり楽しむことができました。

かの有名なアブストラクト・ペインティング、やはり生で見ると圧倒的な迫力。

行く前に画集を買って予習していたのだけれど、印象がガラリと変わってしまいました。

予習時には、絵画とは別の仕方で描く手法なんだなぁ、と漠然と考えていました。

しかしながら、実際に観てみると、まず最初に、これは航空写真だ!と感じました。

上空から撮った航空写真なんだ、と。

航空写真というものは、あまりに遠く離れて見ているから、パッと見て、何が移っているか分かりません。

だけれど、近づいてみてよく見てみると、森があったり、街があったり、山があったり、湖があったり、ということは何となくわかります。

リヒターのアブストラクト・ペインティングは、この航空写真に似ていると感じたのです。

ようは、わたしたちは一見、何が描かれているのか分からないけれど。実はフォーカスしていくと個別の具象がたち現れるのかもしれない、ということ。


なるほど航空写真かも知れないとワクワクしてじっと眺めていると、次に、これは何重にも重なった記憶なんだ!と感じました。

それは、地層のように何層も重なっている記憶です。

実際に、リヒターのアブストラクト・ペインティングは、絵具を何層にも重ねて描いたものです。

重ねて塗られた絵具が、ところどころ剥げて、亀裂が入り、そこから下の層があらわになっている。

まるで、亀裂から過去の記憶が吐出して、それを止めるように新たな層が重ねられていくようです。

また同時に、しばらく眺めていると、図と地が入れ替わることに気がつきます。

噴き出した奥の層と、それを覆う手前の層が逆転していく。

実は後ろにあると思っていた層が、最上位の層であると錯覚してしまうのです。


そして、わたしは航空写真をまた思い出しました。

ある街を上空から撮った航空写真には、街の記憶が何層にも重なり合っている、ということ。

建物が造られまた壊される。

時には災害で、時には戦火で街が崩壊する。

その度に再建される街を上空から眺めるような感覚。

街が変化する映像を早送りと巻戻しを同時に実行している感覚です。


このように、わたしは、リヒターのアブストラクト・ペインティングから、航空写真と記憶を連想したのでした。

素人の感想なので、ほとんど的外れだとは思うけれど、いろいろと感じられて、とても面白くて、刺激的な美術展でした。

おわり

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