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【翻案】#30DaysFilmChallenge DAY4

『2001年 宇宙の旅』ばかりを挙げないための試み。

「30日間映画チャレンジ」を始めようと思ったのは、ステイホームな動画生活の中で(自分にとっての)映画というものが良く分からなくなってきたからなのだけれども、設定された30のお題を見た時、そのほとんど全てに『2001年 宇宙の旅』と答えてしまうだろうと思った。『2001年』と答えないようにすることで(自分にとっての)「映画」という、今はまだモヤッとしている興味の輪郭を出来るだけ正確に、多面体のクリスタルのように磨くことが出来るのではないか…そんな風にこのチャレンジの目的そのものからクリアにしようと思い始めた4日目にやってきました「惑わせのお題」。

タイトルに数字が入る映画

そんな映画はいくらでもある。だが、いくらでもあるからこそ『2001年 宇宙の旅』を挙げてしまいたくなる。いや、それならいっそのこと、全てのお題を『2001年』で答え続けるのもチャレンジと言えるのではないか?という、なかなか無茶なジャッジにアタマの中の陪審員たちが傾き始めたところで、満場一致に待ったをかける「ココロの陪審員1号」(8号ではないのがミソ)が現れた…というわけですっかり忘れてしまっていた「タイトルに数字が入る映画」かつ、取り上げるのに相応しいドンピシャ好みの作品を思い出した。

オリジナルよりも怒れるロシアのリメイクもの。

1957年にハリウッドで作られたシドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』ではなく、2007年にロシアで作られたニキータ・ミハルコフ監督の『12人の怒れる男』である。不朽の名作とされるオリジナル版よりも、舞台を現代のロシアに置き換えたリメイク版の方が断然好みだ。オリジナル(厳密に言えばテレビドラマの映画化なのだけれども、細かいこたぁどうでも良いさ)のルメット版が96分という尺であるのに対して、ミハルコフ版は159分。1時間以上もボリュームを増やして作られている。話の筋は基本的に一緒、足されているのは陪審員の一人ひとりのクロニクル・エピソードである。サスペンスとしてのテンポはオリジナル版に比べるとやや損なわれているかもしれないけれど、ドラマとしての厚みがすごい。というか、こちらの方が「怒れる男たち」だ…映画館では寝ている人も多かったような気がするけれど、ボク個人としてはオリジナル版よりも断然好きだ。

脚本と役者さえ優れていれば、他には何もいらない?

ボクが劇場でイビキをかかずにオリジナルよりも1時間以上も長い作品を観ることが出来たのは、ミハイルコフ監督が要求したであろうリアリティと、その熱意に応えた役者たちの演技力の「こってりさ加減」にある。何なら顔芸作品と言い切っても良い。人によっては胃もたれするかもしれない。どちらかと言えば「映画」よりも「舞台」に向いている脚本に対して、映画ならではの場面転換(一人ひとりのエピソード)を加えているのがミハイルコフ版の「12」だ。いちいち回想シーンを入れてキャラクター全員のバックボーンを描く構成は、いま人気の漫画『鬼滅の刃』のようである…個人的にはキャラクターやエピソードのバリエーションの幅が狭くてイマイチ夢中になれない漫画だ…閑話休題、討議の会場を「会議室」ではなく、裁判所横の「小学校の体育館」と最低限のアレンジに留めているのが良い(翻案作品としてオリジナルの脚本に対する敬意が感じられる)…これ以上、何かを加えたら下品になるというギリギリの塩梅を攻めていると思う。

要は「あちら側に」入り込めるか、入り込めるか。

『十二人の怒れる男』には複数の翻案作品があるが、そのひとつに三谷幸喜が仕上げたコメディ作品『12人の優しい日本人』がある。「舞台」で再演されることの多いこの脚本をZoomで読み合わせるという企画が、つい最近公開された。

いまどきの手法ということも相まってか、舞台というよりも映画的だと感じた。「脚本と役者」さえ優れていれば、十分に入り込めるものだ。それ以上何かを加えると味わいが濁ってしまうという組み合わせがママある。余計なことをしなくても、観る側の脳内カメラが色々を映し出して「画面の向こう側」が浮かび上がる「映画」として仕上げることができるのだと思う。「足し算」よりも「引き算」…それが上手な作品が好みだ。そう言い切ってしまうと、三谷幸喜の映画『12人の優しい日本人』には高い評価を付けられなくなってしまう…トヨエツのせいでw

ひとつひとつのセリフが極めて重要な作品なのに、こうも滑舌の悪い役者を使ってしまってはねえ(と初見の時に思った)…ハラハラするという意味では十分サスペンスなのだけれども。

「って、おい。オリジナル版には一切触れへんのかい(怒)!」×12人分

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