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【中島】#30DaysFilmChallenge DAY10

問題はね、経つづけられるかどうかなんだよ。

人は誰だって「ヒーロー」になることができる。助けを必要としている人に見返りを求めることなく手を差し伸べるのだ!という気持ちさえあれば資格は十分だろう。しかし、「スーパーヒーロー」には、ヒーローを経て、ヒーローを経て(中略)…ヒーローを経て~ヒーローを経た者しかなれない。スーパーヒーローの条件は詰まるところ「継続」なのだと思う。一回や二回の活動でスーパーヒーローの称号を得ることは出来ないのだ。さらに、その称号を得るためには、人に気付いてもらわなければならない。「誰も知らない、知られちゃいけない」では、スーパーヒーローにはなれない。我が国で有名な「光の巨人の家族」だって、地球上での仮の姿の正体こそ隠し続けたけれども、結局は、足元に逃げ惑う人々がいるにも関わらず、街の中で派手な立ち回りをするという謎のパフォーマンスを兄弟・家族総出で永年続けたことでようやくスーパーヒーローとなったのだ。スーパーヒーローは「人の迷惑を顧みることなく多くの注目を集め、語り続けられること」によって、「スーパー」(=やべえこいつ、ちょっとアタマひとつ抜けてるわ)と認められるのだ。世間の常識とはズレたキャラクターで、奇抜なカッコウをしているぐらいで丁度良いのだと思う。

お気に入りのスーパーヒーロー映画

というわけで、「スーパーヒーロー映画」の中からお気に入りを選べという今回のお題もなかなか難しい。「スーパーヒーロー」という称号に相応しいキャラクターはごく限られている。世間の常識とはズレたキャラクターで、奇抜なカッコをしていて、語り続けられること…見た目がケッタイなキャラクターで、作品本数の多いスーパーヒーローなんて米国にしかいないでしょう?(ヒーローなら世界中に山ほどいるが、今回のお題はあくまでスーパーヒーローなのだ)…ちょっと迷ったのだけれど、蜘蛛男よりもこちらの蝙蝠男の方がヤバイ…否、「スーパー」だなと思い、彼の映画の中からお気に入りを選んだ。

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中島かずきによって浄化されたブルース・ウェイン。

「スーパーヒーロー」は本人ではなく、世間が認めて初めて与えられる称号なので、世代や地域を越えてもなお「スーパーヒーロー」であり続けることができる。アスリート界における「レジェンド」と呼ばれるプレイヤー達は現役時代の記憶が薄れかけた人達から、現役時代を全く知らない人達に語り継がれることよって「よりレジェンド」になっていくわけだが、「スーパーヒーロー」にもその仕組み(語り継がれるうちに、もはや別のキャラクターになってしまう)が当てはまる。

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この作品でバットマン(ブルース・ウェイン)の声を演じた山寺宏一は公式ホームページ内で…「暗い」「孤独」「独りよがり」「かまってちゃん」な要素は今回は無く、強すぎる程の正義感のかたまりであり、実直なリーダー…と「ニンジャバットマン」を紹介している。「暗い」「孤独」「独りよがり」「かまってちゃん」というブルース・ウェインの負の部分をギリギリまで削り落として、スーパーヒーローとしての純度を高めたのは、中島かずきだ。彼が脚本を手掛けた『天元突破グレンラガン』『キルラキル』『プロメア』といったアニメ作品や、『獣拳戦隊ゲキレンジャー』『仮面ライダーW』『仮面ライダーフォーゼ』といった特撮作品のヒーローたちと同様に「へたれっぷりは刹那、戦いっぷりは羅刹」…その描きっぷりが蝙蝠男に見事にフィットした作品だと思う。

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素晴らしきかな、おバカ・ローカライズ。

スーパーヒーローものは「考えるな、感じろ」で良いと思っているので、本作の「細けぇことは気にすんな、俺たちは自分たちが見てぇ、とにかくおもしれぇもんが作りたかっただよぉ!」というテンションだけを味わえば良いと思う。余計なことを考えさせない勢いと、米国DCコミックスに敬意を払っているんだかいないんだか分からなくなる、おバカ・ローカライズへのこだわりが素敵だ。

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合体ロボとか、必要かね?w

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ここまで世界観を崩しまくっても、ちゃんと「バットマン」作品として成立しているのはDCコミックスの原作に対する一定以上のリスペクトがあるからだと思う。そして、ここまでやる必要があったのか分からないクオリティは、自分たちの仕事に対するプライドの現れだろう。余計なシナリオを入れることなく、アクション娯楽に徹しているのが何より素晴らしい。いまいちぱっとしないその他のDC映画や、下手くそなキャラてんこ盛り作品を量産し続けるマーベル映画に向けたアンチテーゼ(もっと突き抜けたら?)と取るのは穿った見方か?…まあ、そういうのはどうでも良くなる痛快劇です。



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