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Text.2024.5/27~6/5

5/27 ㌍

 すっごい太った人を見た。彼女が建築物だとしたら、作画は弐瓶勉か士郎正宗だろうなと思うほどだ。1.5Lのコカコーラとサラダチキンを買っていく後ろ姿に対し、ささやかながら肉体の体積を減らす活動を行っている私としては仲間意識を持たざるをえなかった。
 太い、細い。醜い、美しい。飽食の現代、痩せ身が美しさの基準であり、拒食などとわりと深刻な問題になっていたりもする。かと思えば数百年前では寧ろ太っていることこそが美の基準だった時代もあるというではないか。美しさとは所詮はレアリティであり、無い物ねだりや逆張り根性に支えられているに過ぎないのだろうと思った。だから流行りは大衆化すれば飽きられるし、飽きられたものは時代を巡って再燃するのだろうか。

5/28 大衆化

 「書籍に必要なのは消費者ではなく読者である」的なツイートを見かけた。間違いなく今月で一番腑に落ちた言葉だった。この雑記を通して何かお金や誇りを得ようなど、私は全く考えていないので、読者にへと届いて欲しいと思うばかりである。

5/31 2号ホールケーキ

 大切に守ってきたものが見えないところで崩れてしまうという体験。それはプライドや夢といった抽象的なものから、道具箱の中に虫が出てきたドングリや煮込みすぎた鍋という物理的なものまで多岐にわたる。今日の私の場合、それは2号のホールケーキだった。
 まぁ結局大切に抱き抱えられたそれは、玄関の段差を踏み外した衝撃で若干汚れてしまった。フォークやヘラを使って素人ながらに修繕を試みたものの、一部が崩れたケーキが全体的に不格好なケーキへと進化を遂げることにもなった。「なんだかずっとこんな感じだな」なんて思ったりもした。

6/3 壁壁壁 壁壁壁 壁壁壁

ぶん殴られながら目が醒めた、かと思った。自分の頭がダーツのブルやビリヤードの球になった、ますそれは間違いない、と思うほどの頭痛に見舞われながらの起床はご想像の通りあまり良いものではない。しかも目覚まし時計は緊急地震速報だ。ねぼけ眼では天変地異が起きたものだとばかり思い、ならいっそ……と二度寝をかました。
 幸運なことにまた目は醒めた。眠る直前に服用した頭痛薬が効いており、痛みはない。ただ、感覚が麻痺しているだけで頭痛自体は治っていないような、頭蓋に風船をぶちこまれ、ゆっくり膨らまされているような気だるさだけは残っていた。悶えながらそれが収まるのを溜めに溜めた皿洗いをしつつ待ち、それも治まり気分が晴れたところで大学に向かわんと家を飛び出した。その直後に桶をひっくり返したかのような急な豪雨。ただ最低限度の生活を送ろうとする私に対してあんまりだ。どうやら私は神にあまりに期待されているがあまりこのような試練が課されているのだろう。そうでも思わないとやっていられない。この文章は立ち仕事の接客業の合間を縫ってしたためていられたものなのだが、書いている間にも足先から雨がしたたっている。まぁそれもやむなしだ。

6/5 筆を箸に

 都内某所の某社で某は面接を受けてきた。なんだかんだ色々な会社で色々な人と面接をしてきたが、決まって毎度聞かれるのは「芸術で生きてこうとは思わなかったの?」だ。何をバカなことを。まるで芸術を使って金儲けでもしなければ芸術をする価値がないみたいじゃないか。芸術ってのはあくまでもライフワークの一貫であり、生き甲斐や生活の軸と言ったような、社会という枠組みの範疇から逸脱した、「価値」などには縛られないものなのだ。小銭を産まない筆やマイクを批評できないのはその価値の判断基準が金銭に基づいてしまっているせいなのだろう。つくづく資本主義と芸術の相性の悪さには溜め息が出る。週末には本を読み、映画を読み、音楽を聴き、1人の消費者として翌日の仕事に備えて寝るであろうアナタも、文字を編み、スマホでビデオを回し、壁を叩いてリズムを産み出すことが出きるのだ。消費で自己表現をしないでくれ!!!!!!

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