過去から治らない傷 2

結局、私には才能がない、そんな厳しい世界でやっていくほどの情熱もない。そう、打ちのめされた私は、今よりひどい0か100思考だったため、勉強しかない、性格も顔も、頭もだめならば、勉強を、努力し続けて、倍こなしてやっと他人の足下に及ぶのだ。そう思って、勉強にシフトするようになった。勉強ならば、やった分は返ってこなくともそれなりは返ってくると思った。自分の頭のできの悪さには何度も裏切られて、絶望はしたけれど。

その頃から、本当に好きなことがわからなくなった。休み時間も部活の時もこっそり英語の単語とか勉強した。

でも、部活も生徒会も友人は絵もできて、そんでいて周りにいて楽しくて、人が集まってクラス委員長とかで、んで、成績よし、顔も奇麗だった。そういうヒトもいるって諦められたら良かったのに、勝手に私は惨めになっていた。自分より成績が下の人に抜かされることに恐怖しつつ、その優越感に浸っていた。んで、楽しそうにしてるのが憎くて、勝手に惨めになっていた。それは、今も私が私を苦しめている。

ドッチボール大会、体育祭の時も単語帳を手にして、図書室に隠れることもあった。別のクラスに一人分かれてしまって、馴染めず、意地の悪い人に嫌がらせされていた友人のそばにいてあげようともしなかった。本当に屑だった。休み時間だけでも一緒にいてあげればよかったのに、私は図書室に勉強しにいっていた。今でも、後悔しかない。最低だ。未だ、仲良くしてくれている3人の友人の一人だ。こんな私に本当によくつきあってくれているな。と思う。

まあ、後悔はたくさんある。きりがない。次にいこう。

ねじりにねじれた、性格のまま、高校受験に近づいた。

高校なんていきたくなかった。大人になりたくなかった。生きていたくなかった。ネットで中学生が、別に辛いことなんてない、いじめられていたわけでもない、でも大人になったって働いて、今以上につらい、遊べない、だったら、楽しくて、楽ないまのうちにと自殺した子の記事を見た。

その子の気持ちが理解できた。屑だと思うヒトはいるだろう。甘えていると思うだろう。でもこちとら知らんがな。勝手に生んで、出来あがったゲームの中に放り込まれて、生きることを強要されているのに。

まあ、あの頃ここまではっきりした気持ちはなかったが、死ねたその子が羨ましかった。20で死にたいなと思った。

高校見学も終始不機嫌に終わったが、母に推薦受けたらといわれ、受けた。

あんなに行きたくないのに、なぜか勉強は必死にやった。毎回思う。いやだと言いつつ本当に必死にやる自分はなんて馬鹿で滑稽だろうと。

推薦で合格した。

ここまで書いてて分かると思うが、私はいわゆる失敗はしていない。

大学も推薦で入った。

高校も大学も私立でお金もたくさんかかった。でも、不自由なくいかせてもらった。ただ、勉強以外はした記憶がない。びっくりするぐらい、思い出も何もない。中学も高校もアルバムも文集もすてた。

高校の卒業式も大学の入学式もこれから生きていかなければならない、勉強しなければいけない、ただただその絶望に落とされて隠れて泣いたり、終始不機嫌だった。好きなことはなくなった。テレビもみていられなくなった。バラエティなんて10分も耐えられなかった。何がそんなに面白いのかも、家族と一緒に過ごすことさえ、楽しそうに会話するなかにいることが辛かった。

ただただ、生きることが、これから先があることが、明日があることが

絶望だった。


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