格好良さ、動きやすさ、扱いやすさ。全てを満足させてくれたデッコーロウォモのパイロットシャツ
STORY Vol.11 – 藤田雄大 氏
decollouomo(デッコーロウォモ)のパイロットシャツを初めて着た時、着心地がとても良いなと率直に思いました。使用しているconcorde(コンコルド)素材はしっかりしていますが、柔軟性と通気性がとても優れているので心地良いですし、汗をかいてもすぐに吸水して速乾してくれる。プライベートや練習の時だけではなく、国内外の様々な大会でもユニフォームとして着用したりと、いつも愛用しています。
まず、肩周りのデザインが独特で良いですね。一般的なシャツに比べて肩幅がタイトで内側に入っているのですが、立体的につくられた肩周りと素材の柔軟性が相まって、腕がとても動かしやすいです。熱気球の操縦では、バーナーを焚く時に腕を上げたり、目的地に近づいた時にマーカーを投げたりと、肩を動かすことが多いんです。その時に一般的なシャツを着ていると、体の動きにシャツがついてこないので引っかかりや引っ張りみたいなものを感じるのですが、decollouomo(デッコーロウォモ)のパイロットシャツの場合は、それが一切なく、スポーツウェアに近いスムーズさがあることに感動しました。
ほとんどの選手たちは、動きやすさを優先して、アウトドアメーカーのラフなウェアを着ていることが多いのですが、僕は気球を格好良く見せたいという考えがあって、自分の服装にも気を配るようにしています。周囲からきちんと見えるようにシャツなどを色々試してみるのですが、どうしても動きにくさのデメリットが生じてしまうことに悩んでいました。decollouomo(デッコーロウォモ)のパイロットシャツは格好良さと動きやすさの両方を兼ね備えているので、その悩みやストレスが一気に解消されましたね。
そして、取り扱いがすごく楽!!洗濯機で簡単に洗えますし、型崩れもしないし、本当にアイロンが全くいらない。今日もハンガー掛けして乾かしたものをそのまま着てきただけです。見ての通りシワが一切ないですよね。高価で綺麗めなシャツの場合は、毎回アイロンをかけることが必須だと思っていたのですが、Tシャツやポロシャツのように、シャツをこんなにも普通に着ることができるんだとビックリしました。
格好良さ、動きやすさ、扱いやすさ。
decollouomo(デッコーロウォモ)のパイロットシャツは、それらがバランス良く融合していて、とても気に入っています。新しいカラーやデザインなどラインナップが広がっていったら嬉しいですね。今後どのように進化していくのか楽しみにしています。
風を掴まえて、風を乗りこなす。熱気球パイロットのフライト技術
熱気球は舵がついていない乗り物なんです。そのため自分の意思で左右にいくことができない。パイロットができるのは、バーナーを焚いてバルーンの中の空気を暖めて上昇することと、熱気を抜いて下降すること。左右はどうやって動かすかというと、風が吹いている方向に任せて自然と動いていきます。大気には幾つも層があって、高さによって違った風が吹いているんです。方向も強さもちがう。それも気圧配置や時間などその日によってまちまちです。同じ方向にどこまでも吹いてる時もあれば、細かい高さでこっち行ったりあっち行ったりとコロコロ変わる場合もあります。風任せなんですけど、熱気の強弱で熱気球を上下に調整しながら、行きたい方向に吹いている風を探して、狙った風を掴まえて移動していくんです。飛ぶ時は、風の状況を知るために計測用の風船を飛ばして、何メートルの高さで何度の方向に風が吹いているかを測って、上空1200mくらいまでの数値を出していきます。そのデータを元にして、この風とこの風を使ったらこの方向に行けると計算した上で、飛ぶ位置とフライトプランを決める。ただフワフワ飛んでいるイメージがあるかもしれませんが、あらかじめ地形や天気図からも緻密に計算していて、上空では刻一刻と変化する状況に臨機応変に対応しています。そうやって、あらゆる風を使いこなせるようになって、やっと自由に乗れるようになる乗り物なんです。
熱気球の競技は、ポイント制のゲームになっています。目的地が決められていて、風に乗ってその目的地にどれだけ近付けるかという確実な操作性を競い合っています。目的地に近づいたら、マーカー(砂袋に帯が付いたもの)を投げ落とすのですが、それが自分がここまで来たという証明になるんですね。目的地からマーカーまでの距離が一番近い人が1000ポイントもらえて、離れていくごとに点数が下がっていきます。1回のフライトで1〜6箇所の決められた目的地にマーカーを投げていきます。ゴルフのコースを回るように、1箇所終わったら次の目的地を目指してという流れです。大会によって違いますが、それを3日間から最大7日間行って、合計のポイント数を競って優勝を決めるというルールです。
戦略をたてたり計算をすることが好きな方には、すごく面白いスポーツです。
勝つためには、本当にいろんな要素が絡んできます。競技はパイロットとクルーのチームで出場するのですが、地上にいるクルーが本当に重要なんですよ。クルーは、気球を追跡するドライバー、地図を読むナビゲーター、パイロットと通信をする無線担当など合計4〜5人。クルーがパイロットより先回りして地上風がどうなっているかを無線で教えてくれるので、その情報をもとに、どうやって目的地へアプローチするかを考えるんです。意外と上と下でバタバタと忙しいスポーツで、チームの戦略がすごく鍵になります。高さによっていろんな風が吹いているので、パイロットのフライト技術や判断力が問われます。クルーからの情報やデータを得ながらも、やはり最終的には、パイロットが自分の「感性」で判断する力が必要です。「いかに冷静に場を見極めるか」というのが重要なポイントですね。
日常では決して味わえない世界を教えてくれた両親の魅力
両親が熱気球のパイロットをやっていたので、生まれた時から熱気球に関わっていました。初めて熱気球に乗ったことも記憶にないくらいで、飛んでいる時には上空でよく寝ていたそうです。赤ちゃんの時、親が運転する車にベビーシートに座って乗ったりしますが、そういう感覚と同じで、僕にとって熱気球は身近なものでした。父親の海外遠征などにも家族で行っていたので、いろいろなところに行けますし、現地で友達を作って交流したりと楽しいことばかりでしたね。小学生の頃はサッカー選手になりたいとか他にも興味はあったのですが、そんな熱気球に携わる生活が好きで、自然と自分も大きくなったらパイロットになりたいなと思っていました。最初は父親について回って、クルーとしていろいろ手伝っていましたが、パイロットのライセンスを取得するために、16歳の頃から父親に教わって操縦のトレーニングをはじめました。実際にやってみると、思っていたより難しかったり奥が深かったりと、なかなか上達できずに悩まされましたが、父親が数々の大会で優勝して表彰台に上がる姿を見て、格好良いなと憧れをもつようになって、どんどん熱気球にのめり込んでいきました。
18歳ですぐにライセンスをとって、大学生になってからは本格的に競技に集中していきました。大学では歴史ある熱気球のサークルに入ったのですが、入学した頃には低迷していて、やることは、ただみんなでランチを食べるだけで熱気球には全然携われなかった。大学2年生の時には遂に解散してしまいました。そこで、熱気球に興味があった4人の友人達と一緒にトレーニングをはじめて、国内の大会や世界選手権などに挑むようになっていきました。両親も大会に出場していたので、父親が飛ぶ時は僕がクルーについて、僕が飛ぶ時は両親がクルーについて。そういうふうにやっていましたね。社会人になってからは、父親の会社BALLOON COMPANYに入社して、家族のチームで活動しています。
偉大な父から受け継いだセンスと強い想い
パイロットになった最初の頃は、全く想い通りに操縦できませんでした。また、父親が「世界のフジタ」と称されたパイロットで有名だったので、その息子が出てきたぞ!!と注目されていたんです。初めてグランプリ戦に出た時は、家族や周りからの期待が緊張とプレッシャーにもなって、良いフライトができずに結果はビリの方でした。。メンタルがフライトに大きく左右するんです。競技では、ちょっとした感覚のズレや一瞬の判断ミスが原因で勝敗を分けます。緊張とプレッシャーによって、刻一刻と変わる風を読む感覚が鈍ったりして、タイミングがズレたり判断が遅れてしまうんです。僕はそうやって自分のリズムが作れなくなってしまい、うまく飛べなくてフラストレーションになるという悪循環に悩まされました。家族や周りもその様子を見て、期待しすぎちゃダメだなとなって、長い目で見てゆっくり見守ろうみたいな空気になったんですよね。そうしたら、ちょっと気が楽になりまして。初めて出場した日本選手権からは、勝ち負けよりもフライトを楽しもうという環境になった。それで変なプレッシャーから解放されて集中できるようになりましたね。その結果2位をとることができて、自分の良いモチベーションの保ち方を見つけられるようになリました。それからは、好成績をとることができるようになって、翌年の日本選手権での優勝へと繋がっていきました。
幼い頃から、父親が世界一を目指して努力する姿をずっと見てきたので、自ずと父親のセンスや想いが僕に伝わっていたのかなと思います。日本だけではなく世界でもどんどん好成績をあげるようになっていたので、その影響は大きいですよね。アメリカに修行に行った時も、2001年にスペインで開催された空のオリンピック「World Air Games(ワールドエアーゲーム)」で、日本人初の金メダルを獲得した時も同行していましたから。ただ、唯一世界選手権の優勝には辿り着けなかったので、僕が代わりにその父親の夢を叶えたいと考えるようになっていきました。世界選手権は1973年から2年ごとに開催されていて、熱気球が盛んなアメリカやヨーロッパ諸国を中心に、世界中のパイロットが集まる世界一の大会です。とくにアメリカは、過去一番の優勝国ですね。先進国の欧米選手はレベルが高いので、父親が世界一を志した時代は、日本人パイロットなんかが優勝できるわけがないとバカにされていました。その中で、父親が上位の結果を残したことによって、日本人パイロットへの見方はだいぶ変わりましたが、まだ「熱気球が盛んじゃないアジアのパイロット達」という扱い。世界からの日本人パイロットに対するそんな扱いを覆したかったですし、なによりも父親が長年追い求めてきた夢を叶えたくて、世界選手権優勝を目標に取り組んでいきました。
更なる高みを目指して、世界の空に挑み続けるトップバルーンニスト
僕が世界一を獲得できたのが、2014年にブラジル・サンパウロ近郊のリオクラロで開催された「第21回FAI熱気球世界選手権(21rd FAI World Hot Air Balloon Championship)」。2位はドイツの大ベテランの有名選手。彼はサイボーグのように緻密なパイロットで、ヨーロッパでは多くのタイトルを総ナメにしていました。3位は地元ブラジルで、4位以降はアメリカ勢が多かった。ブラジル大会はとにかく楽しかったですね。親日国ということもあって、みんなウェルカムでしたし、人柄も良くてテンションが高かった。クルーをお願いした現地ドライバーは、英語が話せなかったので言葉は通じないのですが、陽気な人懐っこい性格で、ジェスチャーだけでチームをいつも盛り上げてくれました。開催中は常に良い結果だけではなかったのですが、失敗してチームの空気が悪くなったときでも、彼はカバーしてくれて調和を保ってくれました。おかげで、トップに出ている重圧を感じることもなく、終始気楽に臨むことができましたね。そうやって競技を楽しんでいたら、世界一という結果がついてきてくれたという感じです。
そのため、世界一になったという実感がなかったのですが、さすがブラジルという感じで、表彰式の時の会場の盛り上げ方がうまかった。一番高い表彰台に立った時、突然金の紙吹雪が大量に舞って、会場が「ワッー!!」と湧いたんです。キラキラ輝く紙吹雪と、その隙間からみえる景色がとても綺麗で、時の流れがスローモーションになったように感じられて心地良かった。これは両親の強い想いが導いてくれたもので、家族のためのセレモニーなんだなという感慨深いものでしたね。しかし、世界一になったといっても、まだ尊敬するパイロットや目標にする人たちがいるので、タイトルだけが偶然手に入っただけ。僕の中では、そのパイロット達に勝った時にはじめて、本当の意味での世界一だと実感できるものだと思っています。
熱気球の選手生命というのは、ものすごく長いんですよ。だから僕はまだ本当に若手。これから先は長いので、ずっと勝ち続けていきたいという思いがあります。世界選手権でも、1度きりの世界チャンピオンでは決して終わらず、これから何度も勝ちたいですね。今年8月には、オーストリア・グロース=ジークハルツで「第23回FAI熱気球世界選手権(23rd FAI World Hot Air Balloon Championship)」が開催されるので、今はそれに向けて調整中です。今後も競技に集中して「高み」を目指していきます。
安全で平和な空がそこにある
熱気球の魅力は、日常では決して味わえない体験です。上空はものすごく静かで、熱気球はエンジンなど原動力の音もないので、シーンとなっています。かつ、無風状態。風とともに進んでいるので、たとえ速度が120キロでていても全く風を感じないんです。風と高さの感覚を掴みきると、熱気球と自分と空が一体になっているような感覚になります。そのときの気持ち良さを体験したら、もう一生忘れられないと思いますよ。その自由になれる感覚は、他のものには代え難いですね。
そして、上空から見る景色は特別。僕は雲海を見るのが好きですね。晴天の中、広々と海のようにひろがって見える幻想的な景色は絶景です。バスケットから身を乗り出せる状態で、そんな上空まで行けちゃうんです。日本では高度1000〜1200mと定められていますが、世界選手権では高度3000mくらい上空を飛びます。僕は過去最高5000mくらいまで経験しました。その時は、スイスから飛び立って、アルプス山脈を超えて、イタリアまでいくというフライトだったのですが、終始言葉では言い表せないほどの絶景でした。世界中どこも綺麗でしたが、一番興奮したのはドバイで開催された空のオリンピック「World Air Games(ワールドエアーゲーム)」に出場した時。あの超高層ビルの連なる幻惑的な都市部を低空で飛んで、パーム・アイランドがある美しいペルシア湾に出て、広大な砂漠地帯に降りていくというフライト。近未来とアラビアンな世界が入り混じった非現実的な景色。それは、ドバイでしか味わえない感動的なものでした。
熱気球をもっと一般の人たちに広めていきたい。僕が活動している栃木県下都賀郡野木町の渡良瀬遊水地は、通年飛行ができる「気球の聖地」と称されている場所。熱気球をもっと身近に感じてもらえるように、係留フライトやフリーフライトなど体験搭乗ができるようになっています。熱気球は世界中どこでも飛べるものではないんです。軍事的な規制があったり、国の情勢によって飛行禁止になっているエリアは世界中に多々あります。熱気球が飛んでいるということは、「安全で平和な空がそこにある」という象徴なんです。そういう意味でも、もっと多くの人たちと沢山の熱気球を飛ばしていけたらと想って活動しています。
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