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不登校ログ|“外部”克服への1歩



次男の卒園式も無事に終わり、
一息つくまもなく「入学式」の準備で
てんやわんやの毎日を送っています。

入学準備が慌ただしく始まるちょっと前から、
家の中でも“学校”という言葉は日常的に
散らばるようになりました。
なんせ、必然的に就学相談のために
学校という場所へは同行することが必須でした。


不登校になってもうすぐ1年になります。

初期の頃はキーワード自体の
拒否反応が強かったこともあり、
私の中でも「学校」という言葉は
かなり神経を使う言葉になっていきました。
が、そうも言ってられません。

正直なところ、同じ二の舞を踏まないためにも
次男のために準備できることは
準備しておきたいのです。

就学相談から始まり、
信頼のおける療育の先生方の全面サポートもあって
私の住んでいる区のSSWとも繋がり
各療育機関の児発管の協力も頂いて次男の、
第一回目の担当者会議を開きました。

学校という“場所”が恐怖の記憶で
いっぱいだった長男でしたが、
事前予告や環境の整備、イメージをつけると
敷地にも入ることが出来ました。
会議中も後ろで座って待つ事が出来ていて、
心の片隅でぽつりと、「転校」の2文字が
頭に浮かんだほど、夢のような時間でした。

学校と療育現場との関わりが日常的にあったこと、
「自分事」では無いと理解している分、
思ったよりも拒絶が少なかったのだと思います。

きっと、一番の理由は、
自分が通っている学校ではないこと
なのかもしれません。


長男なりの努力の賜物


かといって、“自分ごと”で学校の話題が
一切ないわけではありません。
不登校になってからというもの、
会議を開き、話し合いの中から生まれた
週1の家庭訪問」も板についてきて、
学校近くまで先生を迎えに行ったり、
途中まで送ったりまで出来るようになりました。


家庭訪問の時間は遊びから学習へシフトしていき、
今では約30分程度本人のレベルに
あったプリントをこなせるまでになりました。

これはかなりの進歩と自信に
繋がっていると感じています。


出来るようになったもの、
出来なくなってしまったもの


不登校になったからこそ
出来るようになったことも沢山増えました。

ひらがなが読めるようになったこと、
お金の数と倍率がほんの少し、理解
できるようになったこと、
足し算、引き算の概念が理解できたこと、
レジのお会計をして袋詰めすることーー。

生きる上での身辺スキルは少しずつ少しずつ、
成長しているなと感じます。

がしかし、それと同時に
「出来なくなってしまったこと」も生まれました。

他者への気持ちの汲み取り、譲るという概念、
待つ、我慢する、順番など、
自分対人、との関わり方が難しくなりました。
身近な人には他害も増えていく一方。

支援者として、
出来ていたことが出来なくなる悔しさと、
本人の心の内側を予測、推測する限界に
打ちのめされた夜もありました。

新たな挑戦

この1年間、2次障害に向き合いながら
心の回復を1番に大切にしてきました。

その分、出来なくなってしまったこと、
誤学習してしまったことやこだわりに変換されて
「困り事」になってしまったものもあります。

その分をリスタートさせるべく、
年度初めからまた新たな療育へ通うことに
なりました。

交通機関を使い、片道40分かかる
集団療育です。

人はひとりじゃ生きて行けません。

「助けて」と言える人間関係作り、
集団の中から学ぶものを吸収するためにも
親子で新たな挑戦が始まります。

荒れ狂う姿が安易に想像できて、
胸が苦しくなる日の方が多くなると思います。
「継続すること」を辞めたくなる瞬間は
星の数ほど生まれると思います。
その度に、心が壊れてしまいそうに
なるんだと思います。

今から正直、すごくすごく不安で仕方ないです。

そんな日すらもいつか、
笑って話せる日が訪れますように。

どうか、成長したね!と
嬉し泣きが出来る日が来ますように。


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