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当たり前なものはこの世にたった1つだけ。


今晩は。

金木犀の香りが風に靡くたびに香るのが
心地よくて、長男と一緒にコンビニまで
よくお散歩へ出かけるようになりました。

心地いい季節は、
感覚優位な私にとって
唯一の癒しだったりするのです。


さて、今回のテーマは
「当たり前」という言葉について、です。

「当たり前」の基準って、
皆さんはどこにあると思いますか?


世間の“当たり前”  

その人の“当たり前”

親としての“当たり前”ーーーー。


その当たり前って誰が決めたものなのでしょう?

何気なく使う当たり前って言葉の向こう側には、

何があるのでしょう?


考えてみたことってありますか?


私は、子供たちの発達障害という“特性”に出会い、

向き合ってから何度も
この「当たり前」にぶつかってきました。

〇〇歳で〇〇できて当たり前ーー。
〇〇歳になったら〇〇できることが当たり前ーー。


周りの、世間の、“当たり前”に翻弄されることで

誰かと比べる」習慣がこうして
自然に身についている感覚はありませんか?


あなたの中の、当たり前なものって何でしょうか?

どんな時にこの、
“当たり前”という言葉使っているのでしょうか?


〇〇できて当たり前。
母親だから当たり前。
男だからーーー
女だからーーーーーー。


今、日常に溢れかえっている
この“当たり前”に、
違和感と嫌悪感を感じたことはありますか?

私はあります。

どこか誰かの価値観と、
誰かの価値観が押し付け合って
生まれたものだからーーー。


この世に“当たり前”は1つしかないと思っています。

それは、私が私でいること です。

あなたああなたでいることが、
この世でたった一つの当たり前なことなのです。

それは変わらない事実であり、
れっきとした事実です。

他でいう、世の中に溢れかえっている“当たり前”は、

誰かの価値観でしかありません。

価値観を押し付け合うからこそ、
派閥が起きるわけで、
多数派が占める価値観を「当たり前」と
名付けられただけ。です。

もしかしたら、あなたが何気なく使っている
その「当たり前」は、
自分の価値観だ思っているだけで、
その中身は実際のところ

「他人の評価」だったりするのです。


今日の頭の中のタワゴトでした。

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