見出し画像

障害という名がある世界とない世界


こんにちは。

秋の気配と、冬の足音が足早に聞こえていて
何だか忙しない数日が続いています。
私もこの寒暖差にやられてしまい、半日
ベッドの中と夢の中で過ごす日が続いています。

体と同じように心も、
内側と外側の差が激しいと
ついていけなくなってしまいますよね。

皆さんは、どうでしょう?

浮ついた心と置き去りの体状態に
なっていませんでしょうか?



今回のテーマは「私自身」について
綴ってみようと思い立ち、

下書きに入れては、
開いての繰り返しをしながら
キーボードを叩いております。

ここ数年、数ヶ月の出来事と
気持ちの変化についてなど、
障害児を育てる親として、1人の人間として、
私が「私」についてしっかりと耳を傾けたからこそ
見えたもの、だったり、受け取ったものを
ふんわりしながらも言語化して残そうと思います。



障害児の親になって初めによぎったもの

私は、いわゆる〔特性〕という名のものを
持っていると思います。

そして今回、長年の心に終止符を打つべく
検査を受けようとただいま計画中でございます。

強みももちろんありますし、
苦手なことや“感覚的なもの”に対しても
思うことがあったり、
障害をもつ子供の子育てをしている中で、
定期的に自分の心を
傷つけてしまう時が多々ありました。

自分がもしかしたら発達障害という
特性を持っているから子供たちが
そう生まれてきたんじゃないかーーー?

ママである立場の人は、ほとんどがこの感情に
出会った事があるのではないかなあと思ったり。
私だけだったらごめんなさい。m(._.)m

この感情はきっと、
節目の出来事(就学などの環境の変化)や、
世との障害の壁にぶつかるたびに
定期的にやってくるものであり、多分、
一生の付き合いになるのではないかと思っています。


検査を受けようと思ったきっかけ


検査を受けようと思い立ったきっかけが
この感情に苛まれては、同じ問いかけのループに
はまってしまうからーー。

はっきりしないからこその感情に
振り回されては落ち込んで、
罪意識から逃れられなくなってしまう時が
定期的にやっってくるのです。

というのも、
ここ最近、特に自分の「特性」や性質に
疲れ果てたり生きにくさを感じたり、とにかく
「困ること」があまりにも増えました。


例えば、

︎︎︎︎︎︎☑︎自転車の鍵をゴミと一緒に捨ててしまう
︎︎︎︎︎︎☑︎玄関のドアを全開でキャンプへ出掛けてしまう
︎︎︎︎︎︎☑︎タスクの管理ができなくて
優先順位がつけられない 
︎︎︎︎︎︎☑︎頭に浮かんできたり、
わっと降ってきたものに気を取られて ︎︎︎︎︎︎前のタスクの記憶やアイデアがの記憶が消えていく
(ワーキングメモリが小さいんだと思います)


子供たちの定期受診や発達検査、
保育園や学校行事のスケジュール、
各療育期間との連絡事項や書類、申請ものetc…

こうやって書き出すだけでもタスクが多くて、
整理するのも、自分がしたいことを
スケジューリングするのも、
家事や子育てをする中で大切なことを
構成していこうとすると
フラストレーションが溜まり
辛くなってしまうことが増えていきました。

子供たちのための環境整備を始めると、
タスクが増えるーーーー。

ついていけない自分を
なんとかする為に話し合いを重ねたり、
毎日が言い合いの連続でした。

2人とも転職して環境が
目まぐるしく変わっていく中で、
その都度起こる“変化”や
アクションに必死にしがみついては
定期的にキャパオーバーしてしまっていました。

それなりに発達障害を持つ子供たちと毎日接し、
勉強する中で、どうアプローチしたらいいか?
何となく分かっています。

自分に合ったものを取り入れて
改善を繰り返してはいるものの、
その合うものに出会うまでにはやっぱり
かなりの時間がかかるわけです。

自分ではどうすることもできない壁が立ちはだかり、
できないから困っていて、
解決策を一緒に探して欲しかったり
聞いてほしかったりするのですが

外部からは決まった言葉で慰められ、
心は穴が空いていきました。

人それぞれ得意不得意があるからね。

みんな何なりと持っているものだよーーー。

もちろん、
悪気があって言っている言葉じゃないことも、
私の事を思うが故の愛の表現であることも
分かった上で、
心は無情にもどんどん荒んでいきました。

“伝わらない“が産む世界は苦しい


何が1番しんどいかって
やっぱり “伝わらない事” なんですよね。

頭の中の映像や、音の感覚って言葉だけじゃ
どうしても伝わらないーーー。

いろんな音を拾ってしまう、
それに疲れてしまって何日も動けなくなったり、

集中できない場所だったりすると
内容が理解できなくて何回も
同じ質問をしたり聞き返したりしてしまうことも
言葉じゃなかなか伝わらないーーーー。

伝わらないからこそ、
共通認識の誤差や誤解が生まれ、
個の捉え方や価値観がひっつき、
複雑化していってしまうーー。

発達障害という、
名前がないことで伝わらないことが
生きにくいきっかけになる世の中でもあり、

名前があることによってどこからか
歪んでしまった理解や支援の捉え方や価値観で
生きにくいきっかけになる世の中

溢れているんだろうなと、
痛いほど感じることがあります。

名前がないと理解されない世の中も、
発達障害というものの正しい
理解がない世の中でもある以上、

現代は今、
みんなが皆生きにくい世の中
だってことなんだなあと思います。


じゃあどうすればいいんだろうーー?
それを無くすには何が必要なんだろう?
何をしたら、このミスコミュニケーションが
なくなるのだろうーーーー?

最近、そんなことばかりを考えています。

その答えはきっと未来にしかなくて、
その未来に繋げるためには
自分の困りごとや頭の中の世界と、
起こっていることを見える化すること
なんじゃないかと思っています。

そして見える化、可視化することで
繋がる世界が生まれると私は信じています。


そのためにも、検査を受けることを決めました。
決してマイナスではなく、診断を受けることで
変わる世界をしっかりと受け入れていくために。

困っていることをどう解決したらいいのか
分からない日々が続いていくことの方が
自分にとっても、家族にとっても
「良くないこと」だと判断したから。

そしてなによりも、
自分自身を心から愛せるようになりたいから。

仮に障害を持っていたとしても、
私は私には変わりなくて、
できること、苦手なこと、好きなこと
こだわること、譲れないものは、
周りと同じように変わらずあるものだから。

伝わらないからダメなやつ、ではなくて、
伝わらないならどう伝えたら伝わるかな?

そう、考えられる世の中になれば
「発達障害」という名があってもなくても、
“伝わる”ことで皆が皆、ありのままで生きていける
支え合い、助け合い、認め合える世の中になれると
私は思っています。

伝える手段は「言葉」だけじゃないことを、
描いて通訳する私が、
世界を繋ぐグラフィッカーになるために、
これからも子供たちの障害に
向き合って行こうと思います。


このnoteは私の言葉の深掘り記録になります。
主にこどもたちの障害のことや、私自身のことを
綴っていくものになります。

感じ方は様々です。

どうかその胸の中の本棚にそっと閉まって
「あぁ、こんなことも言っていた奴がいたな」
位にしといてやってください。



ご拝読ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?