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不誠実であることは認めざるを得ない私が考える、プロフィール写真のこと

一年ほど前、あるイベントでお会いした家具屋さんの一言に地味に傷つき、引きずっている。私より多分一回りぐらい年下の彼がこう言ったのだ。「(SNSでみる写真とは)だいぶ印象が違いますね。」

彼の立場上、私はお客さんになり得るので、なにか会話の糸口を探そうとして、もしかしたらちょっと気の利いたこと(僕はあなたの発信をチェックしてますよ!的なニュアンスを伝えようとして)こんな発言をしたのかもしれない。

ただ「印象が違う」とだけ聞けば、そこにはいろんな裏切り方があるはずだ。印象よりやわらかい、とか、印象よりアクティブとか、そういうプラスのニュアンスも考えられないではない。

でも私はその発言に慄き、悲しくなった。それはもちろん、私の側に少なかりとも後ろめたい部分があるからだ。

私がinstagramに使っているのは、20代の頃の写真だ。はい、ごめんなさい。
若くみられたい、とかそういうことではなく、私は単に背景のピンクと、ブルーの服の組み合わせがとても好きで、それを選んだ。instagramに初めて投稿したのが2011年だからその時に設定して、それから(多分)一度も変えてない。いや、もしかしたら一時期ブランディングの本を読んで「恥ずかしくても自分が写った写真を使いましょう。それが信頼につながります。」というのを読んで、一度変えたのかもしれない。それすら曖昧なほど、長く変えてない。

全てのSNSで同じ写真を使っていたはずだが、何かがきっかけで「さすがに20代はあかんかな」と、自分で自分の写真を撮って変更したことがある。2016年。それすらもう7年も前なんですね。その時に全て変更すればよかったのだが、なにしろ「ピンクの背景に…」という写真が気に入っており、ちっちゃい画面でそれほどみないだろうしいいかな?とinstagramだけは残してしまっていた。

自分が気に入ってる写真を自分のSNSにプロフィールとして載せることは、ブランディングの「信頼を得るため」という目的からすれば、大変な裏切り行為をしてることになるのかもしれない。そう考えるととても申し訳ない。

じゃあ何年前までなら、裏切っていることにならないんだろうか。印象がそれほど変わらない範囲で?でもそれって自分では割とわからないことですよね。自分ではそれほど変わってないつもりでも人にはすごく年齢を感じさせていたり。誠実にあり続けたいなら毎年変える?

もうそうなったら、自分の写真じゃなくて猫の写真を使った方が穏便に片付くんじゃないだろうか。信頼は得られないかもしれないけど、裏切りではない。

そんなことをぐるぐると考えて一年経っています。時が経つのは早い!


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