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お前も消化不良。

ざくろを食べたときの感覚には覚えがある。
最初のひとくちはおいしくて、なんて素晴らしい体験なのだと思う。それが大好きになる。だが、その次からは感動が薄れ、反対に種のやっかいさだけが主張しはじめる。
もうそうなると、最初の幸福感は戻ってこない。
種を取り除くのも面倒で、そのまま吞み込むのも喉に詰まる。
四苦八苦しているうちに、最初の感動など消えてしまうのだ。

近藤史恵『スーツケースの半分は』祥伝社、2018年、p225

「初心に帰る」には、何かきっかけがないと難しい。
何かに感動したあの日も、不満や煩わしやを感じる今日も、思考の主体が自分であることには変わりないのに。

時間が経てば考えも変わる。
人の性格は変わらないという主張を時折耳するが、案外そうでもないと思っている。
誰かのある性質が、どれだけ他人から謗られようと変わることがないのは、その性質を持つ本人がある種矜持を抱いているからではなかろうか。

変わる意思があれば簡単に思考の上書きは可能だ。
必要なのは、自分にない新たな性質に出会ったときに、それを取り入れるか否かを判断する決定力だけ。

選ぶも選ばないも自由。
誰かとの関係を続けるも切るも自由。

何においても自分には選択する権利がある、ということを皆が自覚すれば
もう少し生きやすくなるんじゃないかな。

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