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パンに向き合ったら人生変わった話

「何の食べ物が好き?」と聞かれたら

 私はパンと答える。でも理由はと聞かれるとうまく言えない。しかし私は現在、パンが好きだからパン職人として働かせてもらっている。そこで、なぜを求めて幼少期から顧みることにした。案の定非常に長くなってしまったので、刺さる人にだけ刺さってほしいと願っている。

現職場の人気者たち(美味しい、美味しすぎるゥーーー!!)

実家にいたころの記憶ーー母との思い出

 改めてパンとの出会いを考えるとどうにも思いつかない。「日本人はどうしてお米を食べるのですか」という問いくらい単純でもあり難解だと思う。でも強いて言うのならば、母がパン好きの影響があってか、私の朝食はトーストと目玉焼き、ウィンナーソーセージ、ミニトマトなどの少しの野菜という洋風なプレートがお決まりだった。そのため、朝にパンを食べることは至極当たり前のことで、私の日常生活にとても自然に、なくてはならないものとして存在していた。
私の地元・青森県青森市は県庁所在地といえども関東などに比べると全く栄えていない田舎町だ。(私はそれを愛しているのだが)青森で過ごした高校までの時代は、個人パン店がとても少なかった。私と母が大好きだったパン屋は、家とは真反対の方角に位置し、車で30分ほどかかるため中々食べられなかったが、その店の8枚切り食パンがお気に入りで、その時の朝食が一段と楽しみだった。また、家にはホームベーカリーがあり、度々それを使ってパンを焼くこともあった。朝起きてリビングに入ると肺いっぱいに広がる香ばしい香りで何とも言えない幸福感に包まれた。(にしても人の手を加えずに生地捏ねから発酵、焼成まで行ってしまうホームベーカリーは、人類が初めて火を手にした時くらい画期的で偉大な発明だと思う)
加えてもう一つ、子どもの時大好きだったのが棒パンである。それは小学校のバザーや花見時期に開催されるお祭りの場に姿を現す。アルミホイルを巻いた1.5m程の竹竿の先端に発酵させたパン生地がコロネのように巻き付けてあり、自分で炭火にかざして焼くのである。好みの色合いまで焼き上げたら竹竿から外して、イチゴジャムを塗って食べる。自分で焼いた(手間をかけてつくった)パンというのが、腹を満たすだけでなく、達成感や充足感を味わせてくれた。

パンにはブラックコーヒーを合わせるのが好き

いつだって出会いは突然

 やがて大学進学を機に栃木県宇都宮市で一人暮らしをするようになってから、手軽に食事をとれるために以前よりもパンを食べることが多くなった。朝食のパンに加えて、昼食、講義とサークル活動の合間のおやつとして。シンプルな食パンやバゲットなど食事パンの他に、デニッシュやあんぱんなどのスイーツ系、クロックムッシュやタルティーヌなどの総菜系、TPOに合わせて自ら再調理をする必要のないパンは、一人暮らし初心者の強い味方であった。(同時に実家のありがたみも実感した)しかし、この頃はまだスーパーや購買などで売られている袋詰めされたパンを食べることが多く、パンそのものの味や栄養分に関してそこまで関心がなかった。
 パン屋のパンを意識するようになったのは大学3年の21歳の時、当時好きだった栃木の某ベーカリーが近所にオープンしたのがきっかけだったと思う。そこでは、パンとコーヒーが500円で食べられる朝食セットが販売されており、一日の始まりを優雅に迎えるのに最適な場所だった。毎日とはいかないが、いつもより少し贅沢したい日、朝から頑張りたい時に利用していた。徒歩圏内にパン屋が出来たことによって、長期間保存が可能な添加物が付与されたパンと、その場でつくられたナマモノのパンの違いを感じるようになっていった。そして徐々にパン屋のパンの美味しさに魅了されていく。

パン屋のモーニング

 よく恋の始まりは突然などと言ういうが、そんな瞬間が私にもあった。2020年1月に友達と観光で韓国に行くことが決まり、三日間の日程で1日1軒パン屋をスケジューリングしてもらった。その旅行中、私はソウルのパンのレベルの高さに衝撃を受ける。訪れた3軒のパン屋のパンはどこもカリカリでサクサク、クロワッサンは芳醇なバターの香りを漂わせ、ハード系はシンプルながらに程よい塩味が効いている。「この世にはこんなに美味しい食べ物があるのか」と、まさに一目ぼれのような感覚だった。(3軒ともそう思ってしまったので自分はもしかしたら浮気性なのかもしれない)

運命のお相手でございます

好きなことだらけで決められない

 帰国後ほどなくして就職活動の時期を迎える。それまで周りの流れに沿って進学してきたため、自分が何を仕事として「やりたい」のかまるでピンとこなかった。高校大学は経済負担が少ないから県立と国立、しかし具体的な目標もなかったため当時持っていた学力で無理のない範囲から選んだ。好きだった世界史のB科目が学べるから文系に進み、なんとなく英語を頑張りたいなと思って国際学部に進んだ。そうしてほぼ直感ではいった国際学部は人種もやりたいことも多種多様な人であふれていて刺激的な学生生活を送ることができた。東南アジア中心に学生ならではの貧乏旅行もたくさんしたし、台湾留学にも行った。就活直前にはマレーシアの観光会社でインターンもした。ずっと興味はあったが出来る機会の無かったダンスもサークルで始められ、他方ではフェアトレード推進活動なども行ったりした。どれもすごく楽しかったし、おかげで将来に対するいろんな可能性を感じていた。小学校の卒業アルバムの寄せ書きページのような、「○○になりたい!」という純粋な「やりたい」がたくさんあった。

一週間かけてカンボジア→ベトナムをバックパッカーしたり

 しかしながら日本の就職活動は少しも甘くない。自分は大学4年の直前からだと思っていたが、どうやら早いと1年2年のうちから企業のインターンに参加して繋がりをもつ人もいるようである。ビジネスマナー講座やエントリーシートの書き方指導などが頻繁に開かれ、やがて春になると慣れない真っ黒なスーツに身を包んだぎこちない歩き方の人たちが街中に湧いてくる。かくゆう自分もそのうちの一人だったが、なぜ皆が個性の一切を取り去ってあまり知りもしない「御社」の機嫌取りをするのか疑問で仕方なかった。(賛否両論だと思うので防御策として提言しておくが、決して否定していないしここに関する言及はこの場においては土俵違いである)そんなこんな自分なりに考えた末に、果たして自分がどう生きたいのか、に対して明確には分からず、とりあえず「お金を稼いで自立した生活を営むこと」と「両親に心配をかけないこと」を念頭に置いて面接官との相性が良かった比較的大手の上場企業に入社を決めた。 当たり前のことだが、自分と100%理念が合致する既存企業など存在するわけがない。いかんせん頑固で道理に合わないことはたとえ稼ぎや人間関係が良好であっても行えない性分であるので、自分の気持ちと会社の行動指針とのギャップに少しずつ苦しめられるようになった。その時から、私は癒しを求めて以前にも増してパン屋を巡るようになったのである。

パン屋に対する私的見解

 パン屋の魅力は食べる瞬間だけでない。まずは周辺のパン屋を探す。どのパン屋もそれぞれの目指すもの、こだわりがあって、それらがパンそのものだけでなく、商品名や店構えに影響を与える。その時の気分に合わせて行先が決まったら早速現地に足を運ぶ。店のドアを開ける瞬間のドキドキ感はテーマパークに遊びに行くときのそれと似ている。ドアを開けた瞬間たちまち広がる香りは一瞬にしてそれまでのストレスを忘れさせ、すぐさま店にあるもの全部を食べてしまいたい衝動に駆られる。趣向を凝らしたパンの陳列棚は高級ブティックのショーウィンドウのように光り輝いており、たくさんの中から数個だけを厳選するのにとても難儀するのは毎度の醍醐味ともいえよう。やっとのことで選んで購入したら足早に帰宅する。比較的大きい店だとイートインスペースがあるところもあるが、個人店のたいていは販売のみだ。(早く食べたい、そんな気持ちを抑えきれずに帰り道の途中で一口かじってしまうこともあるのだが、子どもの頃に人目を盗んでつまみ食いをするような、ちょっとした背徳感がスパイスとなってまた美味しい)帰宅して、少し温めると再びよみがえる香り。いただきます。もう、最高に美味しい、幸せだ。朝食にパンを選ぶことで、毎日朝起きるのがとても楽しみになる。きっと私はパン派の人間だからだろうが、パンを食べると幸せホルモンが人よりもずっと多く分泌されているのだと思う。そんなわけで、パンは2度も3度も人を楽しませてくれる。パン屋に行くのを繰り返すうちあっという間に沼にはまってしまった。

この日は三軒周りました

どん底まで落ちたらあとは上がるのみ

 今はYouTubeなど無料動画サービスがすごく発達したおかげで、調べるとすぐに様々な動画を気軽に見られるようになった。数多くある動画の中で私が特に好きで頻繁に見るのが料理関連の動画である。ケーキや焼き菓子をつくるASMR動画やとあるカフェのVlog、中でもパン屋の厨房に密着した動画は特にお気に入りだ。ストレス時代を生き抜くサラリーマン時代だったころ、通勤時間などの隙間時間によく見ていた。「あぁ、定年になったら海が見える田舎でパンカフェをやりたいなぁ」とぼんやり夢を見ながら一日8時間も全力を注げない(けど結果をださなくてはともがいていた)仕事に従事していたらたったの2カ月で5㎏の体重が落ちてしまった。
 バリバリ仕事したいのに会社の意向に納得できずに腰が重い、無理やり仕事の対象に興味を持たせる、仕事に身の入らない自分に嫌気が差して自分を責める。人生の意義が分からずに押しつぶされそうになっていたころ、仕事の休みの日に会ったある人に言われた一言がきっかけで転機が訪れた。「○○(以前好きだったパン屋)が人を募集しているよ」と。その時心に浮かんだのは、シンプルな「やりたい」という気持ちだった。もしかしたらたまたま見つけたから、私がパン好きなのを知っていたからただ何気なく放った言葉だったかもしれない。しかし私を決心させるには十分すぎる言葉だった。何を難しく考えていたのだろうか、親のためだと言い聞かせて選んだ仕事は実は自分で自分の生き方を決められない言い訳に過ぎなかったのではないか、やりたいならやってみればいいじゃん、失敗したらその時考えればいいじゃん。単純なのにずっと見つけられなかった気持ちをやっと心に見出すことが出来た。
 それからはあっという間だった。休み明けには上司に辞職の意を伝え、その一週間後にはパン屋の面接に行った。面接ではパンへの愛、その会社に対する熱意を語った。引っ越しが必要だったため、それも同時並行で進めて約1ヶ月で転職と引越しを終わらせた。正直そこのパン屋は受かっても落ちてもどちらでもよかった。「やりたい」という気持ちがある今ならどこでもやっていけると自信に満ち溢れていたからだ。
 それから約2年がたった今でもパンが好きという気持ちに変わりない。しかしながら、現場で働いてみると、想像もしていなかった問題に直面するようになった。非常にショッキングな現状があり、一時はひどく落ち込んだ。そして今は、「パンを作りたい」という気持ちの他に「パン屋の課題を解決したい」という熱意に溢れている。パン屋の現状と課題、それらを改善したい私の想いについては、ここまでで相当長くなってしまったため次回まとめることにする。ちなみに今年の2月にはパンを追求してパリに3週間滞在してたりもしたのでそれに関しても追々書いていきたい。

おわりに

 約5000字、要所のみをかいつまんで書いたつもりが相当長くなってしまった。(だってこれまでの人生で省略していいことなんて一つもなかったもん、という言い訳)ここまで読んでくださった皆様、この世界にはパンに本気を注いでいる人もいるんだな、とちょっとだけ知ってもらえると嬉しいです。読んでいただきありがとうございます。

パンの可能性は無限大だ!



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