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現場現物を確認することの大切さ

岐阜城に行ってきました。
あいにくの雨で、視界はさっぱり。
天守閣から岐阜市内を一望することはできませんでした。
写真は天守閣近くから撮影したのですが、それでもガスに囲まれて見えにくいですね。

岐阜城といえば、斎藤道三と織田信長が居城とした、天下の名城。
標高329Mの金華山の山頂に築かれた、難攻不落の白として知られています。

でも、調べてみると戦国時代に5回も落城しているのですよね。
難攻不落と言われながら、どうしてこんなことになっているのか?
不思議でなりませんでした。

実際に行ってみると、よくわかりました。

山自体は切り立った崖に囲まれていますので、登るのは極めて困難です。
登山道が整備された現代でも、1時間かかります。
完全武装の兵士であれば、登るだけでもさらに体力を使うことでしょう。

でも、山頂の城郭は本当に狭い!
どんなに守りの兵を置いても、数百人でしょう。
ましてや、篭城となると食料も寝るところも必要です。
せいぜ100人超えるくらいしか、頂上には詰める事ができなかったのではないかと思われます。

岐阜城の前身は、稲葉山城。
1200年頃に築かれ、その後廃城になります。
応仁の乱の頃に再建され、斎藤道三が後を受け継ぎます。
関ヶ原の戦いで最後の落城を経験し、江戸時代には廃城となりました。

下から見上げると、岐阜城は実に見事です。
こんな高い山に城を構えるとは、領主様はすごいものだな。
そんな気持ちにさせてくれます。
上からの眺めも、写真やテレビで見ると素晴らしいのはよくわかります。

つまり、岐阜城とは実用的な守りの城ではなく、領主の権威を示すための城だったのだというのが、実地を訪れての私の感想です。
斎藤道三や織田信長の名声や、姿形の素晴らしさに難攻不落というイメージを持つのですが。
実際には、兵の数が足りないので防御には向いていないのです。
つまり、宣伝のための城だったのではないかと思うのです。


だからと言って、岐阜城の価値を認めないのではありません。
お伝えしたいのは、実際に現場を訪れ、現物を見て、自分の頭で考えることの大切さ。
現代社会は、ネットでざまざまな情報が簡単に飛び交うものですが。
本当のところはどうなのか、自分で確かめてみる事が大切ですね。

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