見出し画像

なかなか自分自身はわからない

今までずっと自己分析とかを含めた内省をし続けてきたが,まったく自分という存在が何者であるかすらわかる気配がない。いつまでもこんなことを考えているわけにはいかないが,たえず無限ループに陥ってしまうことになる。


しかたのないことだろうが,この無限ループに陥ってしまったときには情緒不安定としか言えないような気分になる。傍から見ればさほど不安定さはないというが,内部の混乱は抑えきれない。それでも,なんとかして自分自身を理解しようと毎日常々と内省している。

もしかすると,今書いているnoteも内省の一環で,noteのほとんどの目的もこれに依存しているのかもしれない。


noteの目的というと大袈裟な気もするが,もともと手当り次第ではじめたのは覚えている。アウトプットの重要さを心得て,自分の記事を人目に晒すという実験的なものだった。

だが,いつしか自己探求などの道具としてnoteを扱いはじめた。軽い乱用みたいなものだと思っている。でもやめられず,完全にnoteの目的を定めてしまおうとも思った。これはnoteの自由さを捨てる行為に等しい。絶対にやめたほうが良いはずだ。

目的を縛るのは良くないということで,今は好きなように書いている。すると必然的に難解になりがちなので,もう少し読みやすく書けたらなあと思う。

それでも,noteをはじめる前から文章という形で紙に書いたりしていて,今もノートや日記に書いている。当然ずっと昔からその探求は続いていて,終わることはない。


自分という存在は定義できないということを私は知っている。しかしながら,依然として自己探求は続く一方だ。どうしようもなく,止まらないので,この記事自体も終わらない気がする。なんかすごく書き足りないが,早く書き終わりたい気持ちでもある。もうここで...... と公開ボタンを押しても良かったが......

しかし,これが本当の自己探求だと理解できる。自分が知りたくてたまらないが,いくら追求してもたどり着かない。こんな内省は苦痛に感じることもあるわけだ......

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?