ペシミストでもいいと思った

生きることは罪深いことだと私は思っていた。自分が何かに失敗したときに,それがどんなに些細なことでもすべてを深刻に受け止めしまう性分で,私は生きずらさのようなものをずっと抱えてきた。

誤ちを犯しては誰かを傷つける,私が生まれて来なければそんな大問題は解決されるのではないかと何度も思った。しかし,人類が犯した大きな間違いを無視できるほど単純なことではなかった。


人は考えることを優先し,社会を形成し,争い合うという重大な間違いを犯している。そのせいで人は生まれただけでも罪をもつ。知的な生き物になったことで,"悪いこと"への抵抗が強くなったのだと私は思う。

結局,私がこの世を去っても何も変わらないのだろう。


生きずらいといえば,私の性格はMBTIではINFP型ということになっている。このタイプは生きずらさを抱えていることが多いというが,まさしくそのとおりだ。そして,あらゆる物事を深刻に捉えてしまうのはいかにもペシミストらしいと思った。そんな感じで自分を型に当てはめて,わずかな安心感を得ながら日々を過ごしている。

不健全な傾向というか,普通に良くないことだと自覚はしている。特に,私がペシミズムを支持していることは,当然批判の対象になり,周りからは理解されがたい。でも私にとってはその生き方が一番合っている。


ペシミズムが批判されるのは,ネガティブだからというわけだ。だが,それではニヒリズムもネガティブではないか。よくペシミズムの引き合いに出されるニヒリズムに対して,私は一定の理解はしているつもりだ。ニヒリストの人に共感したこともたくさんある。

ペシミズムとニヒリズムは確かにネガティブな側面が目立つが,実際にはそうとは限らない。

例えば,この世界を評価するとき,ペシミストは「深刻な大問題を抱えている」とし,ニヒリストは「そのすべてが無価値」とする。ここだけを見ればどちらも完全にネガティブだ。しかし,その後ペシミストが「負の側面を考えることは悪いこと」とし,ニヒリストが「無価値な世界で好きにすればいい」としたら,それぞれの世界観はポジティブにさえなりうる。

もちろんネガティブなままのペシミストやニヒリストもいるのだが,このように開き直ることで生きやすくなるのではないかと私は思っている。


それでもペシミズムは批判され続ける。私は深刻に考えすぎる(感じすぎる)ことが本当に気に食わない。だから何も考えたくない(感じたくない)というのが本音である。だが,もしもこのまま思考停止し無感情になったら,楽になる可能性はあっても幸福になるとも限らない。

私には考えたい(感じたい)ことがある。それすらも見捨てることになったら,それこそ大問題であって罪深い。負の側面から目を背けるというと現実逃避のように思われるかもしれないがそうではない。考えすぎて(感じすぎて)気に病むほどなら,好きなことだけを考えて(感じて)タフに生きるほうが断然よいということだ。

私は世界を過小評価し続けると同時に批判の対象となり続ける。それでも私は私らしくありたいと思っている。

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