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法話2日目

今朝も5時からお経を読みに行った。

正確にいうと5時から読経が始まるので
それに間に合うように4時半に宿をでる。
4時半に知人が車で迎えにきてくれる。

自分はやりたくてやっているのだから良いが
早朝から毎日車を出すのは大変だろうと
何度も自分で行くと伝えたのだけれど

朝早くは酔っ払いがいて危ないからと
車でお寺まで送ってくれる。

朝行くことをやめるという選択肢もあるのだが

今回モンゴルまで来た目的が
最初から最後まで
灌頂(縁結び)次第の側にいて
皆が幸せになるように最大限祈る
ということと

せっかく先生から読経に列席する許可も頂き
このありがたい機会を
無駄にしてはいけないという思いで

「いいから、いいから。」
と言ってくれる知人に感謝しながら
彼らの分も真面目にやろうと
とにかく毎日参加している。

午後は準備の法話の2日目。

『37の菩薩の実践』というテキストに入った。

今日はテキストに入る前に説かれていたことに心がとまったので
それをシェアする。

礼拝をする時だが
チベット仏教では合掌をする時
合わせた両掌の間に空間を作って
その空間に両親指を入れる。

両手は宝珠を持つように。
宝珠が入る部分の真ん中が空くので、
そこに親指を入れる。

この合掌を
頭頂または額と
喉元と
胸に当てて礼拝する。

その時、両手は、
仏陀の色身(形ある体)を得させるものとなり

両掌の間の空間は、
法身(仏陀の形のない体・仏陀の智慧と空性)を得させるものとなり

両掌の間に入れた2本の親指は
その両方を得させるものとなる。

この合掌を頭頂または額に当てると
我々の身体を浄化し

喉元に当てると
我々の言葉を浄化し

胸に当てると
我々の意識(心)を浄化する。

チベット語で礼拝のことを
ཕྱག་འཚལ། (チャク・ツェル)というが

前の「チャク」には清めるという意味があり
後ろの「ツェル」には得るという意味がある。

なので
身口意の汚れである煩悩や悪い言葉、悪い行動等を浄化して
利他をなす功徳(良い性質)を得るということが
チベット語の「礼拝」の意味に含まれている。

我々にも仏陀になれる可能性があるということが
他の信仰にはない
仏教の特徴だそうだ。

そう考えると
仏教は可能性を広げてくれる。

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