見出し画像

なんかもう嫌になりそうなときに

「私来年、国に帰るつもり。」

友達のつぶやきに驚いた。
物静かで普段あまり大袈裟な感情表現をしない彼女。それでも芯は強く、人の役に立ちたいという思いは人一倍。そんな彼女の突然の言葉だった。

彼女はマッサージ学校のクラスメートだった。
お互い外国人同士という共通点があったからか、練習する時にペアになったり、ランチの時は一緒のテーブルで食べたり、と何となく近づいて行った。
卒業後も時々声を掛け合って情報交換をしたり、新しく学んだテクニックを互いに試してみたりする仲である。

家族みんなで引越しするの?と聞くとそうではないらしい。
ひとりで、しばらくの間、スウェーデンを離れることにしたそうだ。

子供たちはパパに見てもらう。このご時世だからインターネットでコミュニケーションもできるし。

驚いたけど、それ以上根掘り葉掘り聞くのは憚られたし、彼女の決断だからあれこれ私が言うことでも無いしな、と思い黙って聞いていると、

自分の一部を向こうに置いてきた気がする。一旦時間を作って、その部分を取り戻す必要がある気がする。

そんな風に説明してくれた。

外国人として知らない土地に住んでいると、時としてそのような感覚に陥ることがある。これはとても共感できる。そしてさらに悲しいことに、その時の国際情勢によってその「自分が2つに分かれてしまうような感覚」が助長されることも起こりうる。

不快な思いを避けるため最近は外で自分の母国語は使わないようにしている。自分の出身国が理由で、別の国にルーツを持つ友達と疎遠になってしまった、と彼女は静かに嘆いた。

祖国に住んでいれば、そんな悩みを抱えることはないのかもしれない。しかしこれを、外国に住む人限定の問題として片付けてしまうことはできないような気がする。

ここ数年間に世界規模で起こった出来事によって、自分自身の意見を問われる場面が増えたように思う。

自分は何を正しいと信じて行動するのか。

しかし自分の意見を周りに明らかにしたことによって、差別に遭う可能性があるとしたらどうだろう。誰かとの関係が険悪になってしまうとしたらどうだろう。

言葉選びを慎重にしなければならない。
誰と何を話すかにも気を遣わなければならない。

そんなこと気にせず適当にお天気の話でもしていれば良いのかもしれないが、そんな表面的な付き合いをずっと続けるわけにはいかないだろう。

そんな日常ではだんだん息苦しくなってくる。

人との繋がりが切れてしまうのを恐れて当たり障りのない話題に終始する表向きの自分と、本音を語り合いたい自分が2つに分かれてしまうからだ。そしていつか限界が来るだろう。

彼女の姿と重なった。
自分の身にも覚えがある。



そんな時にいつも読み返す文章がある。

あの人が悪い、この人が悪い、こうしたらいいなどと言っていまの状況が変わるのならば、そうすればいいでしょう。しかし私たちがそんなことを言ったり思っても現状改善に全く役にたちません。
(中略)間違ったことをしている人がいる場合には、自分が間違っていることをしてしまった時と同じようにそれを悔い改めるための機会が必要です。彼らを憎んだり、嫌悪感を抱いても、その問題の解決には全く役立ちません。まずは自分たちが心穏やかに、元気にのんびりすごしながら、さまざまな問題解決を願うこと、仏教を学ぶ人はこう心がけるべきなのです。憂鬱な気持ちになっても何の役にも立ちませんので、やめた方がいいんです。

https://www.mmba.jp/archives/39597
より抜粋

2月に発表された世界平和についての文章の一部である。お坊さんの言葉なので「仏教を学ぶ人は~」というフレーズが入っているが、仏教徒に限らず誰にでも当てはめることができるのではないかと思う。

誰が悪いかを突き詰めたり、誰かを憎むような行為は何の役にも立たない。
自分が憂鬱になっても何の役にも立たない。
まず自分が心穏やかで、元気でのんびり過ごすことが大事。

周りの問題に気を取られ、つい忘れがちなことをズバッと言ってくれてた気がする。
元気でのんびり過ごす、なんて、気楽なこと言ってと思うかもしれないが、ものすごく大事なことだ。バカにはできない。

個人が穏やかでポジティブであればそれが波紋として周りに広がっていくのである。
まず自分が「穏やかで元気でのんびり」した状態を保つことにフォーカスすると、だんだん自分自身に余裕ができ、自分以外の人も元気に穏やかに暮らせると良いな、と人のことを願う余裕も生まれてくる。誰のせい、とかそんなのどうでもよくなるのだ。そしてそんな様子を見た周りの人にも、その元気をお裾分けできる。人と人の間に余裕が生まれると、相反する意見を持つ人に対してもオープンになれるし、いちいち相手の反応にビクビクすることもなくなるだろう。
気を張らなくても自分が穏やかでいるだけで周りへ良い波動を送ることができると思うと、すごく前向きな気持ちになれるのだ。

友達とこの文章をシェアしたら、そうだよね、と微笑んでくれた。

聞きたくなくても耳に入って来る様々なニュースに無力感を感じることは正直多い。
なんかもう全部嫌になってしまいそうなこともあるが、そんな時この文章を思い出すようにしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?