#10 日本の伝統的な時の感覚を知る

伝統的な時の感覚と干支

 前回は日本の伝統的な季節についてお話をしました。今回は引き続き日本の伝統的な時の感覚について紹介したいと思います。小見出しにも書いたように,伝統的な時の感覚には「干支」が大きく関係しています。前回もお話ししましたが,干支は現代では年を表すことが一般的ですが,実は年だけでなく月,日,時間,さらには空間(方向)についても干支で表していたのです。
 空間と干支の関係は次回で述べたいと思いますが,今日は時間と干支の関係,そして,そもそも干支とは何なのかについてお話ししようと思っています。

干支とは何か

 まずは干支について話を進めましょう。皆さんは「干支(えと)」とは何だと思いますか?多くの人は「子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥」の12種類だと答えるのではないでしょうか。しかしこれは干支の半分,つまり干支の支の部分(十二支)を示しているにすぎません。ではもう半分の「干」とは何なのでしょうか。それは十干と呼ばれるもので「甲,乙,丙,丁,戊,己,庚,辛,壬,癸」と表記します。皆さんも「甲,乙,丙」くらいなら法律とか漢文の返り点などで見たことがあると思いますが,この十干十二支を合わせて干支と呼ばれているのです。
 干支は十干×十二支で構成されますが,単純に10×12=120種類あるのかというと,そうではありません。十干と十二支をそれぞれ順番に,例えば最初は「甲と子」,次は「乙と丑」というように並べていくと,60番目にそれぞれの最後,すなわち「癸と亥」となり,61番目は再び「甲と子」に戻ります。要するに10と12の最小公倍数である60で一周するというわけです。これが干支とと呼ばれるもので,これを年に当てはめて一般的には「丑年」とか「午年」と言われますが,厳密には十干が加わるので,例えば2024年は辰年ですが正確には「甲辰」,60の干支のうち「甲子」を1番目とすると41番目にあたる年なのです。
 干支を年に当てはめた時,この60年で一周するという考え方は現在でも習慣として残っていて,60歳を迎えた人が「還暦」と言われるのは「60年で一周する暦」が「一周して還る」ことを意味しており,再び生まれた干支に戻ることから赤いちゃんちゃんこを身にまとって赤ちゃんを体現しているということになります。この他,歴史的な出来事が起きた年も十干十二支で表されます。例えば「甲子園」は「甲子」の年にできたことが名前の由来ですし,「戊辰戦争」や「壬申の乱」など戦争や戦乱の名前に起こった年の干支が冠されることが多いかと思います。

干支で時間を表す

 続いて干支と時の関係についてみてみましょう。先にも述べたように,年だけでなく月や日,時間も干支で表していたのですが,今回は時間と干支の関係について説明したいと思います。
 昔(ここでは江戸時代あたりを指す)の時間の感覚は,現在のように正確な時刻を示すものがなかったので,生活や仕事では大まかな時間で区切られていました。干支で時間を表す場合,24時間を十二支で示していたので1つの十二支は約2時間となります。具体的には,23時から1時までを「子の刻」,1時から3時までを「丑の刻」,3時から5時までを「寅の刻」というように呼ばれていました。そして,真ん中の時間を「正刻」といって子の正刻は0時,丑の正刻は2時ということになります。さらに,2時間区切りでは仕事に支障が出るとして,2時間を4つに(つまり30分ごとに)区切って「子一つ」「子二つ」などと表現されることもあり,この30分が当時の人々の最小単位の時間間隔だったようです。
 この時間を十二支で表す考え方は,現在も様々な形で名残を見ることができます。例えば「草木も眠る丑三つ時」と言いますが,この「丑三つ時」とは,丑の刻を4つに分けた時の3番目,現在の時刻で言うと2時から2時半ということになります。また「午前」「午後」「正午」という言葉も「午の正刻」が12時であることがその由来となっています。

「おやつ」の由来は?

 ここからは干支と関係なくなるのですが,昔の人々はどのようにして時刻を把握していたのかという点について少し補足をしておきます。昔の人々はお寺の鐘の数で時刻を把握していました。この数は中国の陰陽思想に由来し,9を特別な数として昼12時に設定し,14時は9×2=18,16時は9×3=27と2時間おきに9の倍数分だけ鐘を鳴らすという方法を取りました。しかしこれでは鐘の数が多すぎてかえって時刻を判別しにくいので,10の位を除いた数,すなわち14時は8つ,16時は7つ,以降,18時は6つ,20時は5つというように鐘を打つようになりました。そして深夜0時も9つとして,2時は8つ,4時は7つ,6時は6つという形にしたのです。
 もっとも,夜に鐘を鳴らすことはなかったので,夜明けとなる朝6時に6つの鐘を鳴らすことから始まり,世間一般ではこの時間を「明け6つ」と呼んでいました。以降,8時を「朝5つ」,10時を「朝(または昼)4つ」,12時を「昼9つ」などと呼び,夕方18時を「暮れ6つ」と呼んでいたそうです。この呼び方が現在でも残っている例として「おやつ」があります。「やつ」は「8つ」を意味していて,「昼8つ」は14時を示します。現在でも「おやつ」と言えばおよそ15時を示すことから,その関連性が理解できると思います。また,落語の「時そば」もこの時間の呼び方からくるもので,そば屋の店主が代金を1つ,2つ,と数えているところに,昼9つを期待して「今,何時だい?」と尋ねたところ,実際には昼4つだったので代金をごまかせなかったというオチなのですが,4つと9つが隣り合わせであることを理解していないと成立しない落語になっています。
 以上,これまで見てきたように,干支と時間の関係(あるいは昔の時間の感覚)をみると江戸時代当時の生活習慣が,現代にも残っていることを実感できます。

おわりに

 今回は干支と時間の関係についてお話ししました。最後に述べたおまけの部分も含めて,昔と現在の時間の在り方を比較すること,そして干支とという考え方が現在にも残っていることは,伝統文化の継承という点のみならず,様々なことを現代の我々に伝えてくれている気がします。それは干支のもとの考え方である陰陽五行思想を知ることによって理解されるのですが,次回はその陰陽五行思想,そしてそこから発展した干支と空間の関係についてお話ししたいと思います。本日もお付き合いいただきありがとうございました。

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