#4 治力を意識する

治力とは何か

 前回まで,僕がこのnoteで言いたいこと3つのうち2つを述べてきました。今回は③治力(ちりき)について説明していきたいと思います。治力とは全くの造語なのですが,読み方を「ちりき」としたのは,知識(ちしき)や地域(ちいき)と合わせたときの語感がよかったのがその理由です。そしてこの言葉の意図するところは「治める(おさめる)力」という意味なのですが,では「治める(おさめる)」とはどういう意味があるのでしょうか。
 治めるという言葉には大きく2つの意味があります。ひとつは「(病気や怪我などを)なおす」という意味。熟語で言えば「治療」や「治癒」と表されるように,それまで悪かったものからの回復という意図を持っています。ここで「なおす」対象はさまざまなものが考えられます。まずは「人間をなおす」ということ。日本は長寿国として知られていますが,その一方で健康的な人々はどのくらいいるのでしょうか。個人的には,昔に比べて生活習慣病を中心とするさまざまな疾病を抱える人が増えていると感じています。これにはいくつかの理由がありますが,僕が思うには食生活が大きく影響していると考えています。特に多くの添加物を含んだ食品はさまざまな疾病の原因となっているのではないでしょうか。
 なおす対象は人間だけではありません。前回お話した地域の問題とも関連するのですが,日本という国もさまざまな問題を抱える中で「なおす」必要があると思っています。国防の観点では,周辺諸国との軋轢が高まる中で自分の国を自分で守る必要があると考えています。また,経済の面では一見すると株価が上がり,経済成長しているようにも思えますが,それは外国からの投資によるものであり,国内の経済成長の結果ではありません。失われた20年と言われていますが,他の先進諸国は所得が増えているにもかかわらず,日本の所得は20年前の水準のままです。結果として日本はあらゆる面で外国から「買いやすい国」となってしまっています。他にも問題はたくさんありますが,あらゆる面で弱体化してしまった日本を「なおす」必要があると考えています。

もうひとつの「治める」

 治めるという言葉のもうひとつの意味は「ととのえる,とりしまる」ということ。熟語で表せば「政治」や「統治」という言葉で表されるように,(主として)国を安定させること意図しています。これは先ほどの「なおす」がマイナスからの回復を意味しているのとは対照的に,「ととのえる,とりしまる」は(どちらかと言えば)プラスの現状を保つことではないかと思います。ところが先に述べたように日本はマイナスの状態からの回復を考えなければならなくなっていると考えています。
 こうした状況に対応するのが政治であると思うのですが,この政治があまり機能していないのではと思うのです。政権与党の裏金問題は言うに及ばず,野党に至っては国のために政治をしているとは言いがたい状況にあります。問題は国政だけに限りません。地方政治においてもさまざまな問題を抱えています。例えば,難癖をつけて高速交通をストップさせようとする知事,森林破壊につながる大規模なソーラーパネルを設置しようとする知事,外国の企業を誘致しようと躍起になっている知事など枚挙に暇がありません。改めて,日本が回復するにはどうしたらよいのか,ひいては成長した状態を保つためにはどうしたらよいのかを考える政治が求められていると思います。

天皇の果たす役割

 ここでもうひとつ指摘しておきたいのは天皇の役割です。天皇の存在意義は,祭祀を行うことにあります。現在では宗教行事として捉える人が多いのですが,「まつりごと」という言葉からもわかるように,もともとは政治としての祭祀がルーツにあります。天皇が日本国を統治していた時代,他国の統治方法とは決定的に違う点がありました。それは他国の統治方法は「ウシハク」であり,天皇による日本の統治方法は「シラス」であったということです。ウシハクとは「主人が所有する」と言う意味を持ち,簡単に言えば権力者が力を持ってその国を統治することを指します。一方のシラスとは「一体化する」という意味を持ち,天皇は国民を「おおみたから」と呼んで大切にすることで統治してきたのです。
 そして興味深いのは,この「シラス」という字に「治す」という漢字が当てられているということです。一般的には「知らす」という漢字が当てられ,天皇は国の状況を「知る」ことによって統治することだと解釈されています。もちろんこの解釈も正しいのですが,日本書紀には「治す」と書いて「シラス」と読ませているのです。この辺の話は日本の国生み神話とも深く関係してきますので,詳しくは別の回で述べたいと思います。
 現在,天皇が政治にかかわることは国事行為を除いてありませんし,その国事行為ですら形式的なものとなっています。しかし天皇は現在においても祭祀を行っておられます。つまり今も日本という国を「治す(しらす)」行為をなさっているのです。こんなことを言うと,非科学的で現実的ではないと思われる方も多いと思いますが,僕は天皇が祭祀を行うことで,あるいは天皇という存在がいることによって日本という国が守られているのだと考えています。さらに言えば,いわゆるスピリチュアルな力は我々の生活においても決して無視できないもので,我々が祈ることにも重要な意味があるのではないかと思います。
 科学が発達した現在,人々は科学的なものばかりを追い求め,精神的な部分をないがしろにしてきました。しかし,科学で解明されているものが全てではありません。「無知の知」という言葉があるように,この世の中には人間が知りえない世界があると考えるのがむしろ普通ではないかと思うのです。我々ひとりひとりが,自分や他人,地域や国家,そして地球という存在に対してその安寧を祈ることが必要ではないかと考えています。

おわりに

 今回は治力という造語についてお話をしてきました。結局のところ,大切なことは自分や周りの人,ひいては日本という国(そして世界も含めて)を「治す(なおす)」必要があり,そしてその実現には「治す(しらす)」という意識が必要だということです。
 4回の投稿を経て,とりあえず僕の言いたいことの大まかな点は主張できたかなと思います。次回はこの大まかな点を踏まえて,今後具体的にどんな内容の記事を投稿するつもりなのか,その方針についてお伝えできればと思います。本日も取り留めのない話にお付き合いいただき,ありがとうございました。

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