デカダンス1998

どうも、デカダンス1998です。25歳になって、今年26歳になる。

倫理観や道徳心、守るべきルールや社会に生きる「人間」として求められる「規範的行動」、「ノーム」。それらは一体どこから生まれ、残り、そして消えていくのか。それはきっと社会を作っている人々の手によって作られ、そして、使われ、俗にいう「時代のながれ」と共に、消えていく。いやむしろ、社会に「殺される」。

社会というものは、どこにでも存在する。二人以上人間が集まれば、コミュニケーションが生まれて、社会になる。関係性の中でだんだん生まれるルール、ノーム。これらから外れることは、その社会の中に存在する関係性にある意味、亀裂をもたらす。この何かしらの「崩壊」は「無」を作り出す。そしてそれはすなわち、デカダンスである。

デカダンス。その道徳的規範や規範的倫理観からの「圧倒的ズレ」。もしくはそれ自体の「崩壊」。崩壊は虚無を生み出す。その虚無に私は居場所を見つけたのではないか、見出してきたのではないかと最近思う。

子どものころから感じていた何かとの「ずれ」
期待からのずれ、現実と理想とのずれ。友人と自分のずれ。そのずれは、考え方のみならず、遊び方、言葉の使い方など、いろいろな部分から顔を出し、いきなり、「虚無」という姿で、現れる。

虚無は、底なしの自由でもある。唯一の、よりどころにさえ、なり得る。だって、何もないのだから。

規範から逸脱し、崩壊し、その先に見える虚無。その過程で苦しいことは多いかもしれないが、ある程度、デカダンスして生きていたほうが、まあ楽なのではないだろうか

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