我々のこれからを考える

21日を以て緊急事態宣言が解除され、昨日から再び宣言のない日常が始まりました。しかし、これはあくまで僕自身の見解ですが、恐らく遅くとも3ヶ月以内に再び1月と同じ状況になるだろうと考えています。そうなれば再び緊急事態宣言を出さざるを得なくなるでしょう。こうなれば最早いたちごっこ、トカゲのしっぽ切りでしかありません。確かにワクチンが輸入されてはいるものの、一般国民が接種出来るようになるにはまだ時間を要しますし、ワクチン接種したから感染しないという関係は証明されていません。これでは新型コロナウイルスの収束を図ることは難しいでしょう。

では我々はこれからどう生き抜いていけば良いのでしょうか。先日、興味深い投稿がありました。麻生さんがマスコミに対し、マスク着用はいつまで続けなくてはならないかの質問を受けた際、それはマスコミの方が理解しているはずだ、との返答を怒りを交えてしたそうです。これは実に興味深い。日本人の受け身の姿勢が如実に表れているといえるでしょう。自分での判断では自信がないからなのか、情報をより知っているものの判断に委ねるという態度を感じます。確かに自己の判断では自身が有する知識・情報が少なく、より妥当な判断ができないでしょう。しかし、それを根拠に他者に頼るような状況が許されるかとなると、それは違うと考えます。それは無知であることに甘えた態度でしかありません。自分自身が置かれた状況でどう生きていくか、それを判断するのは究極的には各個人でしかありません。生きていく中で、過去には経験したことのない未知なる状況に立たされることもあるでしょう。しかし『経験したことがないからどうしたらいいのかわからない』というのは、どうするべきかを考えていないから出てくる言葉ではないでしょうか。もし、必死に考えているならば、そんな言葉を出す余裕すらないはずです。分からないとうなされながらも、自らの過去に得た知識・経験をはじめ、マスメディアから取得した情報を基に試行錯誤し、自分にあった、かつ、世間の方向性とも符合する方法を取るように理論→実践→回顧を繰り返すことが重要です。政策的判断は行政に委ねるのが適切ではあるものの、個人の範囲までは行政ではカバーしきれません。その場合、あなたならどうしますか?行政に丸投げ、というわけにはいかないでしょう。しかし、仕事や学校といった、生活に密接に関わる事情でどうしても外出しなければならない場合もある一方でコロナ感染という状況を回避する必要があるのも、現在の社会の方向性であることもまた事実。そうだとすれば、例えば大学生ならばできるだけオンライン授業の方に参加し、対面は必要最小限(対面授業形態以外選択肢がないといったもの)に控えるべきでしょう。あとは、アルバイトをしているならば、感染防止のため、アルコール消毒を徹底したり、帰宅後は即座に手洗いうがいを行うとか、自身が取りうる手段は尽くすべきです。勿論、自身が尽くせる手段を尽くしていらっしゃる方も大勢だと思われます。しかし、新規感染者が宣言解除間際になっても三桁であったこともまた事実です。ではこれはなぜなのか。端的に言ってしまえば、全員が全員社会的に妥当な方法を取っている、取れているわけではないからです。まだコロナの脅威が克明に存在する中、飲み会を行っていたり、部活やサークルの仲間と食事に出かけるといった方もいるはずです。僕自身未成年ですし、部活にもサークルにも、「入る必要がないし、面倒だ」という理由で所属しておらず、この一年、ほぼ引きこもり生活をしていたからなのかもしれませんが、果たしてコロナ感染というリスクを背負ってまでかかる行為をする必要性・相当性はどこにあるのかが疑問なところです。極論をいえば、LINEのビデオ通話を使ってもできるのではないでしょうか。必要性・相当性もないのに外出して結果感染してしまったから助けてください、というのはどうにも虫が良すぎるのではないかとも思えなくはありません。医療従事者から見ればたまったものではないでしょう。

そして恐らく、新型コロナウイルスが終息するにはまだまだ長い期間を要するでしょうし、コロナのパンデミックが生じる前の日常に全部が全部戻ることはないでしょう。よくメディアなどでは、日常を取り戻す、と表現されていますが、僕は新たな日常・常識を作り出すことになると思っています。上記の通り、コロナウイルスは、日本に限って言えば日本のアイデンティティへの挑戦かもしれません。今まで受け身のような生き方だったものをどの程度能動的な生活態度へ変更するか、今まででは常識は果たしてこれからは常識となりえるのか、逆に今まで非常識とされたものが常識となるのではないか。まさに、コロナウイルスというものをトリガーとした世界の破壊と創造です。そしてそのトリガーが大きなものであればあるほど、破壊と創造は急激なものになります。コロナウイルスはそのトリガーを大とするものです。トップダウンからボトムアップへの変更、いや、何かに依存することからの卒業。

どうやら我々には、既存の常識を検討し、それらを破壊するとともに、自身が有するものを総動員してこれからを生き抜いていくにあたりするべきこと、しなくても良いこと、してはならないことを自らが考え、試行錯誤し、自身と社会と合致する行動、新たなる常識を早急に見出すことが最重要課題として課されているようです。

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