誰が一番好きか競争
「でっくさんの推しのマオさん、でしたっけ。どんなメイドさんだったんですか」
大阪から帰る新幹線。余裕を持って新大阪に着いたはずなのに、お土産に悩んだり、シメのうどんを食べたりしていたら発車ギリギリの時間になってしまった。東京に着いたらほぼ終電の時間。さすがに逃すわけにはいかない。
半分仕事、半分観光。そんな旅について来てくれた女性は、数時間前に大阪本店3階でお嬢さまになった。
「何というか、今日会ったようなメイドさんみたいな感じじゃなくて、こう、破天荒って言うんですかね。都市伝説みたいな、そんな感じでした」
スマホを裏返し、挟んであるマオのチェキをカバー越しになぞる。「なるほど〜」と呟いたお嬢さまに、おそらくマオは1ミリも伝わっていないだろう。
「マオさんの話、聞かせてください」
何をどう話したらいいのか。
僕のクソみたいな恋愛話で顔を真っ赤にして大声で笑ったこと……目の前でかつやのクーポンを握りつぶされたこと……トークルームのスタートが『壊してしまったキッチンを直すところから』だったこと……どれにしようか。いやいや、彼女は今日お嬢さまになったばかり。メイド喫茶初心者には味が濃すぎてむせてしまう。だとしたら。
「卒業の日に来なかったんですよ」
「え!」
思いのほか大きな声が出てしまったらしく、首を縮こませながら「すみません」と小声で周囲に謝っている。
「でも、どうして」
どれも想像でしかない理由を、さも真実かのように話すのは忍びない。
「いつだったかな、マオさんが『みんながマオに会いに来てくれるのなら、100のマオで会いたい』みたいなことを言っていたんですよ。だから、彼女の中で『納得のいくマオ』が見せられないタイミングだったのかな、って」
マオのことをマオさん、と言ってしまったのがこそばゆい。
「でも、あの日あの場所にいた誰もみんなが卒業を祝っていて。閉店する頃にはみんなで『卒業できて良かったね〜』なんて言ってたんですよ」
マオが卒業してから1ヶ月が過ぎた。
普段はご帰宅の優先度を生活、仕事に次いで第3位くらいに置いているのだが、4月からマオの卒業にかけては最優先にしていた。その結果、あまりにも仕事の進行がズタボロになり、編集、入稿、後始末と、処理に追われる毎日だった。わかっていたことではあったのだが。
余韻に浸ることができたのは卒業から1週間ほどで、そこから先はデスロードの片隅にマオがいた。
ひとりで仕事をしていると、特に理由もなく落ち込むことがある。パートナーや家族がいるわけではなく、仕事のすべてが自分の生活のためだとこんな風になるのだろうか。
飾ったままで片付けられない、マオの祭壇をみやる。いつの間にか日は暮れかけていて、ブロマイドに夕陽が差し込んでいる。初めてのブロマイドがなぜハロウィンコスだったのかはいまだに謎だ。
「これが彼女のアカウントですね」
お嬢さまにメイドのアカウントを教えると、画面を勢いよくスクロールさせながら、先ほど出逢ったばかりの推しの記憶を一気に吸収している。初めて推しができた時の自分と姿が重なって、なんだか懐かしい気持ちになる。
「人気あるなぁ」
私服の写真ツイートについた『いいね』の数はたしかに多い。お嬢さまは、そこについたリプライに目を通しながらため息をついている。
「これ、5年通って思うことなんですけど、人のリプは見ない方が精神衛生上いいですよ」
初期の頃は気持ちも盛り上がっているから、どうしても他人と自分を比較してしまう。比べたところで良いことはひとつもなかった。
「せっかくご帰宅するなら、周りの人を見るより推しだけを見た方が推しも幸せですよ」
「たしかにそうかも。“誰が一番好きか競争”をしているわけではないですしね」
推しがいなければできないことはなかった。しかし、推しがいるからできたことは多かった気がする。物事に執着のない僕にとって、大袈裟に言えば、生きる理由のひとつとも言える。必要としてくれているかも、と思うだけで、胸を張って歩けたような気がする。
そんなことを考え続けた1ヶ月。
たどり着いた『推し』というものの正体は、『自信』だった。
「大阪はやっぱり遠いですね」
『萌え』と書かれたチェキを、スマホカバーにねじ込みながらお嬢さまが言う。その調子だと、せっかくのお絵描きが削れてしまいそうだ。
「これ、使ってください」
数枚持ち歩いているマオのコレチェキからスリーブを外す。
「こういうものがあるんですね」
「そうなんですよ、カードゲームのやつらしいんですけど」
どうやらぴったりと収まったらしい。お嬢さまが愛おしそうにスマホ裏を眺めながら、「こんな気持ちになるなら出逢わなければ良かったかも」と、笑顔で呟いた。
新幹線はいつの間にか新横浜を過ぎたらしく、もうすぐ品川に到着する。
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