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再録「あのときアレは神だった」〜アグネス・ラム

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。実在の人物から架空のものまで、昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2015年より、夕刊フジにて掲載)


性の氾濫と性情報の氾濫というのはまた別の話だが、少なくともわれわれおじさんの青春時代(1970年代あたり)には、性に関する情報は河原に捨てられた色あせたエロ本を貪(むさぼ)り読むほどに少なかった。

高校時代の友人に、「『ぴあ』(情報誌)のピンク映画告知欄の写真(切手サイズ)をオカズにしている」との勇名をとどろかせていた輩がいたが、その者のもう一方のディナーが、このアグネス・ラムだった。

アグネス・ラムは、ハワイ出身のいわゆるグラビアアイドルである。

1975年にクラリオンガールでデビュー。外国人のわりには日本人好みのキュートな顔立ちと国際連合並みのダイナマイトボディーで、当時の若者たちの目と下半身をくぎ付けにした。

そのパワーは後年来航したリア・ディゾンとは比べるべくもない超弩級(ちょうどきゅう)の黒船っぷり。なんせ、まだまだ日本のアイドル界では肌の露出は少なく、ピンク系の映画だとか水泳大会の「おっぱいポロリ」みたいなのは、それ専門の人がご担当という時代なのであった。

アグネスのブレークした1976(昭和51)年といえば、日本は三木武夫内閣。アメリカは建国200年に沸いていた。

政界を揺るがしたロッキード事件も佳境を迎え、『徹子の部屋』などの長寿番組が始まった。

テレビではピンクレディーが活躍。お色気なのか、お座敷芸なのか、当時のいたいけな中学生たちは、このピンクレディーの太ももやアグネスの黄色いビキニ姿にもんもんとする日々を過ごしていたのであった。

アグネスのもたらしたものは、実のところ、お色気でもなく、萌えでもなく、ましてや家族と良さを分かち合えるお茶の間のスター性でもなかった。それはまさしく僕らにしかわからない、イカ臭き「青春」の1ページであった。 (中丸謙一朗)




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