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庭を観て語る、ごはん二杯分の物語

 ようこそ、もんどり堂へ。いい本、変本、貴重な本。本にもいろいろあるが、興味深い本は、どんなに時代を経ても、まるでもんどりうつように私たちの目の前に現れる。

 いつもんどってきた本だか忘れたが、今回はわたしが昔から大切にしている本だ。この「落ち着きのない」わたしに、落ち着きのある「庭の見方」を教えてくれたのがこの本である。

 『庭園に死す』(野田正彰著、春秋社、平成6=1994年)だ。

 当時、新聞紙上に連載されたコラムを集めたものなのだが、一見バラバラなエレメンツの寄せ集めのように見えて、その実、非常によくできている。有名無名の「庭」という空間を前に筆者がつらつらと思いを語ってみせる。

 わたしが「能力」として昔から憧れていることがある。

 それはたとえば一杯のラーメンを目の前にして、時間にして一時間、字数にして6000字ぐらいをたっぷりと語ってしまえる能力である。試しに挑戦してみてほしい。いくらおいしいと思ったラーメンを前にしても、語れるのはせいぜいが15 分がいいところである。完成された、ある動きのないものについて語るという行為はけっこう難しい。

 庭に話を戻す。

 買ってきた盆栽をこどもたちに見せびらかしながら、「ここには自然が詰まっている」と悦に入るのは、たった一行の話だが、この野田先生は十年一日の動かない「干物のような庭」を見ながら、縦横無尽に知識や思想を語り、一時間とは言わないが、ごはん二杯分ぐらいの素敵な物語を語ってくれる。

 「景観とは、文化によって捉えられ、整形された風景」であり、「さらに、個々の人間によって枠づけられ、あるいはいくつかの精神状態によって色艶を変えていく」。

 野田氏は人間の精神を構成する「景観論」を書くことを熱望し、「人間が最も意図して造形した景観、庭園を旅」し、そして、その旅の描写は古代から現代へと、ものの見事に時空を越えた。

 「不易流行」という言葉がある。

 松尾芭蕉が提唱した「永遠に不変なもの”不易”と日々移り変わる事象”流行”を観念的にとらえた、もののあり方の根本思想だ。

 庭は不易であり、それを観るわたしは流行である。

 本もまた不易である。大切な情報、有益な考え、本の価値は十分に「不易」だ。

 『桂離宮を読む』(和辻哲郎著、中公文庫、1991年初版発行、1958年の作品、入手価格315円)。

 この庭「桂離宮」こそまさに「不易流行」の庭だ。

 時代の流れのなかで日々移り変わりながらも、京の地で永遠の価値を放ち続ける。

 古本で味わう不易流行。安くて贅沢な遊びだ。

  (2014年、夕刊フジ紙上に連載)

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