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両親に紹介してもらえない場合、相手の心は不純

 ようこそ、もんどり堂へ。いい本、変本、貴重な本。本にもいろいろあるが、興味深い本は、どんなに時代を経ても、まるでもんどりうつようにわたしたちの目の前に現れる。

 神社や寺院の入り口には守り神として狛犬が置かれている。高度経済成長時代、「文化的」な暮らしを標榜する「ご家庭」の狛犬の役割を果たしていたものがあった。百科事典である。家の中の重要な場所に鎮座ましまし、滅多に開けられることもなく、まさに境内の狛犬のごとくわたしたちの日常の風景に溶け込んでいた。

 たまに、「小さい頃から百科事典を眺めるのが趣味で、末は博士か大臣か」みたいな嫌味なガキがいたが、百科事典を置物ぐらいにしか見ていなかったわたしは、ある日、いきつけの古書店で古ぼけた百科事典(『暮らしの図鑑4 生活』主婦と生活社刊、昭和44年発行)のページをパラパラとめくった。

 一枚の写真が目に飛び込んできた。「若大将」的絵柄に添えられた「恋人」に関する解説である。

(交際→交際のマナー→対人関係→恋人のカテゴリー)

 <社会人であるなら、結婚を前提につきあうこと。心得としては、(1)女性は早い機会に男性の両親に紹介してもらうのがよく、それがされない場合は相手の心を不純と考えてよい。(2)男性の両親に紹介されるときはプレーンな服装で、(中略)すぐにふたりだけになりたがらず、両親ともおとなの会話を心がけること。(3)たとえ親たちが好意で迎えてくれても、結婚まえは人の目にあまるような態度は慎む。(以下略)>

 百科事典は言葉を入り口にしてさまざまな事象を解説する。そして、その事象は変化する。

 最近の百科事典の同じ項目と読み比べてみたわけではないが、なるほど、恋人との「交際マナー」を改めて解説するとこういうことになるのかとじんわりとおもしろかったのである。

 その昔、「不純異性交遊」なる言葉も流行った。この解説はまさにそのことだ。それに比べ今はオープンになり……なんて一瞬思ったが、よくよく考えてみると「ちゃんとした」人付き合いの本質なんて案外変わらないものかもしれないと、しみじみと思ったりもする。

 本質は同じでもハードの進化によりあまり見られなくなったマナーもある。

 「電信のマナー」の項目に添えられていた写真(黒電話で電話をかけているOL)には、「鉛筆で(ダイヤルを)回すのはまちがいのもと」という解説が添えられていた。

 今回、この百科事典を眺めるのが楽しくて、「食」「住」「健康」「娯楽」など、全巻(6巻)揃えてみた。当時の定価は各1700円だが、入手するのに全巻合わせると1万5000円ぐらいかかった。

 もしかすると、また新しい置物が増えただけなのかもしれない。だが、「知の守り神」である狛犬さんが、だいぶ文化度の落ちてきた我が家に舞い戻って来てくれたと考えると、それはそれでなんだかうれしいのである。

                     (2014年、夕刊フジ紙上に連載)

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