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(第24回)レトロの看板を下ろした青梅


 2018年10月、新聞にこんなニュースが載った。

 「東京都青梅市の商店街に掲げられ、『昭和のまち』を演出してきた映画看板の撤去が19日、始まった。地元の映画看板師が今年亡くなり、長年の掲示で歩道への落下などの懸念も出てきたためだ。映画が娯楽の最高峰だった時代を思い起こさせる手書きの看板が、24年にわたる役割を終える。1994年から映画看板が飾られてきたのは、JR青梅駅近くの旧青梅街道沿いの住江町商店街。題材は「男はつらいよ」「ティファニーで朝食を」「ニュー・シネマ・パラダイス」など昭和の名作で、封切り当時のポスターを元に描かれた。(中略)今秋の台風の暴風で看板の一部が破れ、同様の看板が壁から落ちたため、商店街は歩行者の安全のために早急な撤去を決めた。今後は「猫」をテーマに活性化をめざすという。」(朝日新聞)

 正直、私は吹いた。

「猫かよ!」

 わりと早い時期からこの青梅の「レトロ戦略」を応援し、足繁く通っていた身としてはなんだか肩透かしを食ったようで、寂しい。

 看板撤去の理由は、看板を描いていた「板観(ばんかん)さん」と呼ばれる最後の映画看板師が亡くなったことだ。色あせた看板の修復や、定期的な新作への描き換えができなくなったことが原因らしい。

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近年はかなり経年劣化をしていた街の看板もかつてはきれいだった。(2007年に撮影)


 たしかに、昭和の活況を映し出すかのような、映画看板による観光誘致はできなくなったのかもしれない。だが、それでも、そもそもの観光コンセプト『昭和レトロ』まで手放してしまうとは。猫ブームもわからなくはないが、人間様にできない「誘致」をいともたやすく可能にするのか。方針転換の詳細は不明だが、その「転向」ぶりは、なんとももどかしい。

 青梅宿は大菩薩峠を背後に控えた、青梅街道の大きな宿場町だった。JR青梅駅からほど近いところにある青梅山金剛寺には、平将門が植えたと言われる「将門誓いの梅」があり、これが青梅という地名の由来であるとされている。その梅も数年前、病気にかかり大規模な伐採、植替えを余儀なくされた。まさに青梅は苦悩のときだ。

 かつて青梅はレトロタウンであった。その後、全国各地で「昭和」をテーマにした街づくりが流行したが、青梅のそれは早く、「昭和を連想させる企画物」とはいえ、(もともとある古ぼけた建物と相まって)それがすっかりと板についてきていた。街なかに掲げられている映画看板、昭和レトロ商品博物館、赤塚不二夫記念館など、昭和のお懐かしコンテンツが、のんきな風景とともにすっと身体に入ってくる。私の好きな『銀嶺』という真性レトロな飲み屋もあるし、「企画モノ嫌い」の私にしては、けっこう気に入った街だった。

 最近は、若い人が経営するエスニックカフェなども街道沿いにでき、近くに住むスタイリッシュな有機野菜屋のオーナーやボルダリング(岩登り)が趣味で奥多摩に移り住んだ夫妻などが、店内のフレンチブルドッグといっしょに、思い思いの時間を過ごしていたりする。

 奥多摩の御岳山には、プロ・アマ問わず、たくさんのクライマーが訪れる。奥多摩、青梅を中心としたクライマーのコミュニティのようなものも生まれ、スポーツとしてのクライミングを楽しみながら大切に育てようとしている。

 話を戻す。でも、猫はないだろ、猫は。レトロだろうがなんだろうが、踏ん張ってこその殿堂入りだ。たとえその次の元号である平成が終わろうとも、あくまでも昭和にこだわる。それが、かつての「明治男」ならぬ、「昭和男」の心意気だ。

 青梅よ、どこへ行く。「まねき猫」に頼るのはまだ早い。

〜2018年12月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

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梯子を外された? 「昭和レトロ商品博物館」(2007年に撮影)

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